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![]() | 鹿窪[関東地方] |
下総台地北西部,鬼怒(きぬ)川と田川の合流点右岸に位置する。縄文早期の向原遺跡,鹿窪古墳群がある。慶長8年6月20日の野口豊前戦功覚書写に「一,結城かのくほと申所ニ而,小田原衆と出合申候時,我等てつほう壱丁ニ而,つゝミおもちかち申候」と見え,年代は未詳であるが,当地で結城氏と小田原北条氏の戦闘が行われている(常総遺文所収文書/結城市史)。当地は結城城と小山城(栃木県)との間の台地に位置しており,これは元亀2年5月15日の蘆名盛氏充北条氏照書状写に「去十五日以来,結城・山川之間へ打入」と見える合戦のことと思われる(会津四家合考所収文書/結城市史)。文禄5年正月20日には結城秀康が当村のうち50石を孝顕寺に寄進している(孝顕寺文書/結城市史)。
【鹿窪村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【鹿窪(近代)】 明治22年〜現在の大字名。
