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![]() | 鳴門[四国地方] |
旧吉野川下流北岸に位置し,鳴門海峡に面する。地名は,海潮の鳴る狭い場所の意で,渦潮で有名な鳴門海峡にちなむ。古くは鳴門海峡を意味し,阿波の水門・粟門とも称した。奈良期から平安中期頃までは,粟門の呼称の方が多く用いられた。「日本書紀」神代上第5段には「其の穢悪を濯ぎ除はむと欲して,及ち往きて粟門(あはのみと)及び速吸名門(はやすひなと)を見す。然るに,此の二の門,潮既に太だ急し。故,橘小門に還向りたまひて,払ひ濯ぎたまふ」と見え(古典大系),「日本紀略」「先代旧事本紀」にも同様の記事がある。また「土佐日記」には承平5年正月30日のこととして「かいぞくはよるあるきせざなりときゝて,よなかばかりにふねをいだして,あはのみとをわたる」とあり(同前),紀貫之は任国土佐から京都に戻る途中に,当地を通過したことがうかがわれる。その後,鎌倉期には,道範阿闍梨は「南海流浪記」仁治4年2月10日条に「フクラヲタチ阿波ノ戸ヲワタリテ佐伊田ニヲル。海路三里余。シマジマ入江入江ノ有様,悦目養意」と記している(群書18)。なお凡河内躬恒には「新古今和歌集」に「淡路にてあはとはるかに見し月のちかき今夜は心からかも」の1首がある(新編国歌大観1)。当地の特産である若布については,平城宮木簡に「阿波国進上御贄若海藻壱籠〈板野郡牟屋海〉」と見えるほか(鳴門市史),近世初頭の俳書「毛吹草」にも阿波の産物として「鳴門若布」が見えており(岩波文庫),古くからの名産であったことがわかる。
【鳴門(古代)】 平安期から見える地名。
【鳴戸(中世)】 鎌倉期〜戦国期に見える地名。
【鳴門村(近代)】 明治22年〜昭和15年の板野郡の自治体名。
【鳴門町(近代)】 昭和15〜22年の板野郡の自治体名。
【鳴門市(近代)】 昭和22年5月〜現在の自治体名。
