検索結果一覧
114件Hitしました
11から10件/114件中
![]() | 緑埜[関東地方] |
古記録は緑野(天保郷帳は緑埜)。明治の町村制施行以降は緑埜と表記。鏑(かぶら)川支流鮎川中流左岸に位置する。地名は,かつて緑野(みとの)郡のほぼ中央部に位置していたことによる。「上野名跡志」には神奈川・蕪川・鮎川の3川が合流するので水処野としたとあるが,これらの川は水量も少なく川原が多いため水郷とはほど遠く,地名は文字通り緑の原野に由来するとみるべきであろう。竹沼貯水池付近に縄文遺跡があり,近年農地構造改善事業に伴い平坦地の田畑から古墳時代から平安期にかけての住居跡や水田跡が確認されている。なお,地内西半分の地を板倉といい,鎌倉期の正慶2年3月22日の年紀を有する埼玉県東秩父村浄蓮寺鐘の第1区の銘(県史資料編6)に「上州緑野郡板倉郷・円光寺鐘」とあり,往古この板倉郷に円光寺という寺があり,しかも現在も「比丘尼屋敷」という名が残っているので,梵鐘の作られた時期や「願主蓮阿」と合わせ考えると浄土系の尼寺であったと思われる。
【緑野郷(中世)】 戦国期に見える郷名。
【緑野村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【緑埜(近代)】 明治22年〜現在の大字名。
