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![]() | 魚住[近畿地方] |
瀬戸川および赤根川の流域に位置する。奈良期の高僧行基が天平年間に摂播五泊の1つとして魚住の泊を築いたという。「万葉集」巻6の笠金村の歌に名寸隅(なきすみ)の船瀬が見え,この名寸隅が魚住にかわったという。また,平安期の「住吉大社神代記」に「明石郡魚次浜」が見えることから(住吉神社文書),名寸隅は魚隅の誤写で,魚隅―魚次―魚住と変化したとする説もある。中尾川と赤根川の河口部には,中世窯跡である魚住古窯址群がある。12世紀後半から15世紀前半まで片口鉢・甕・碗・瓦などを登窯で生産し,一部は京都に運ばれ,平安宮・尊勝寺で使用された。また,赤根川の西には魚住城址がある。
【魚住(古代)】 平安期に見える地名。
【魚住荘(中世)】 鎌倉期〜室町期に見える荘園名。
【魚住村(近代)】 明治8〜22年の村名。
【魚住村(近代)】 明治22年〜昭和26年の明石郡の自治体名。
【魚住(近代)】 明治22年〜大正9年の大久保村の大字名。
