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![]() | 菅野谷[関東地方] |
巴川左岸の台地に位置する。縄文時代の富田山遺跡や牛山古墳群がある。鎌倉初期鹿島氏一族の開発により所領化され,秀幹の四男秀鍳が菅谷氏を称したという(烟田系図)。以後,室町初期まで菅谷氏の支配下に置かれたが,応永24年10月日の烟田幹胤軍忠状案に「大掾庶子,持寺・菅谷・瀬落・飯岡為御敵条,無是非者也,仍鹿島郡中致乱妨狼藉放火条,無其隠」と見え(烟田文書),菅谷氏は上杉禅秀の乱に荷担したため所領を没収され,当地は闕所となった。年月日未詳の烟田幹胤軍忠状案にも「菅谷跡」と見える(同前)。永享10年8月の烟田宮王丸代申状に「鹿島郡大和田郷内,菅野矢入道の跡由緒而,申為欠所間望之」とあり,烟田氏は一族を理由に闕所の領有を申請している(同前)。戦国末期には烟田氏の知行地であったと思われ,「烟田旧記」天正20年8月11日条には「菅谷に新宿立候」とも見える(続常陸遺文)。
【菅野谷村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【菅野谷(近代)】 明治22年〜現在の大字名。
