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![]() | 佐柳[四国地方] |
古くは佐那岐・佐名木・佐奈木・真木・早凪などとも書いた。塩飽(しわく)諸島の西端,多度津の北方約13kmの海上に位置する島。南北2.3km・東西最長1km・面積2.07km(^2)・海岸線延長6.7km。南北に長い逆「く」の字形をしている。地名の由来は,足利3代将軍義満が厳島参詣の途中(神功皇后三韓出兵の途中ともいう),南風が吹き荒れ,この島に避難すると間もなく風が和らいだので,この島を早凪(はやなぎ)と呼び,それが「さなぎ」に転訛したという。また,当地では櫟を真木(まき)と称し,全島植生の70%に及ぶが,真木は古代のサネギの意味を残し,杣木など雑木を呼んだもので,サネギがサナギに転訛して残ったものかともいう(多度津文化財23)。全島山地で最高地点の高遠山山頂は標高248.7m。花崗岩上に安山岩をのせ,北東部の浜は黒砂となっている。山の東側,比較的緩やかな斜面の南に本浦の集落,北に長崎浦の集落があり,山の北西斜面は急傾斜をなす。島の開発は高見島から来島した人々によってはじめられたとも,備前から来島した山井将監という武士によってはじめられたとも伝え,その名残か,2つの集落では言葉のアクセントに多少の違いがある。なお,当島長崎浦海岸に県有形民俗文化財の両墓制埋め墓がある。
【さなき(中世)】 南北朝期〜室町期に見える地名。
【佐柳島(近世)】 江戸期〜明治23年の村名。
【佐柳島村(近代)】 明治23年〜昭和31年の自治体名。
【佐柳(近代)】 昭和31年〜現在の多度津町の大字名。