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![]() | 禅定寺[近畿地方] |
大峰山の東麓,南流する禅定寺川の上流域に位置し,北方の禅定寺峠を越えると近江国(滋賀県)。当地は平安中期以前には久和利郷と称され,桑在寺という寺院があったという。その後正暦年間,東大寺別当となった平崇が,藤原兼家の帰依をうけて当地に禅定寺を建立,寺名がやがて地名に転化した。同寺は平安末期には宇治平等院の末寺となり,藤原道長をはじめ摂関家の帰依により,長保3年4月8日付の山城国禅定寺領田畠流記帳や養和元年11月21日付の山城国禅定寺領四至注進状案に見られる1,000町の杣山・墾田など広大な寺領を所有。この寺領を活動の場とする付近住民は,禅定寺を中心に団結し,鎌倉期以来,近隣の田原荘や近江国曽束荘と境相論を繰り返している。また,治承5年,禅定寺の鐘を鋳造した際の記録には「百姓等座ニテ,頭ヲモチコミテイルナリ」と見え,正安3年にその鐘が破損したときには,僧侶と付近住民が銭を出しあって再び鋳造している。こうした住民の結集の中心となった禅定寺の寺座については,正嘉2年の修二月堂荘厳式目,正応3年の奉加人口日記に寺僧による僧座のほか,本座・新座・弥座の3座が見える(以上,禅定寺文書)。
【禅定寺村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【禅定寺(近代)】 明治22年〜現在の大字名。
