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![]() | 銭司[近畿地方] |
「でず」「です」「せず」とも発音する。西流する木津川の右岸,妙見山(263m)南麓に位置する。和同開珎などの貨幣を鋳造した鋳銭場が当地付近にあったとされ,「相楽郡誌」には「この地東方に字金鋳山あり西方に流岡山ありて銅鉱あり……鋳銭司の遺址か」とある。鋳銭司については,「日本書紀」持統天皇8年に直広肆大宅朝臣麻呂など3人を「鋳銭司に拝す」とあり,「類聚三代格」所収天長4年7月3日付の太政官符に「右得鋳銭司解称,検案内,此司在岡田之日,典薬医師一人別置司家,今医師停置療治無方,望請省史生置医師」と見える。岡田に存在した鋳銭司は天長4年にはすでに廃されていたが,現在も当地には鋳銭に関係する金山・鍛冶上・金谷などの字名があり,坩堝・ふいご・銅滓なども出土している。また,「三代実録」貞観7年9月26日条に「勅木工寮,採銅於山城国相楽郡岡田郷旧鋳銭司山」,同9年6月9日条には「勅山城国相楽郡旧鋳銭司廿町,貞観七年為採銅地,今返賜左大臣源朝臣信,但採銅之事依旧行之」と見える。岡田郷内の鋳銭司が廃されたのち,その跡地は旧鋳銭司と称されており,貞観9年には旧鋳銭司20町が源信に返付されたが,以後も採銅は行われたことが知られる。
【銭司荘(古代)】 平安中期〜室町期に見える荘園名。
【銭司村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【銭司(近代)】 明治22年〜現在の大字名。
