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新谷藩[四国地方]
角川日本地名大辞典

(近世)江戸期の藩名。在所は喜多郡新谷陣屋。外様・小藩。元和9年,大洲藩の内証分として加藤直泰が1万石を分知され成立。幕府公役は本藩が勤める。同19年喜多郡上新谷村多郷(たごう)に陣屋と31軒の侍屋敷(知行高4,920石)を建設し新谷藩陣屋が成立した。加藤氏は直泰のあと,泰觚,泰貫,泰広,泰官,泰賢,泰儔,泰理,泰令と9代約250年にわたり在封した。藩領は,喜多郡内で川崎(喜多郡河辺村)・中津惣川(なかつそうがわ)(喜多郡肱川町)・只海(ただのうみ)・重松(喜多郡五十崎町)・今坊(こんぼう)・出海(いずみ)(喜多郡長浜町)・上新谷・下新谷・恋ノ木・藤縄・上須戒(かみすがい)・梅ノ川・阿蔵(あぞう)(大洲市)の13か村であり,うち梅ノ川・阿蔵の両村は文化9年,大洲領一木・北山両村と交換替地となる。浮穴(うけな)郡内では上川(かみがわ)・町・立石(たていし)(上浮穴郡小田町)・高市(伊予郡広田村)・大平(おおひら)・岩谷口・麻生(伊予郡砥部町)の7か村,伊予郡内では黒田・稲荷・市場・大平(伊予市)の4か村,全領内で合計24か村であった。これら各村は大洲藩領内に1村ごとに分散孤立していたり,同一村を本・支両藩で共有していたりしている。石高は古高で9,315石余,新高で合わせて1万石に達するという。藩府の新谷町には,元文5年徒士小姓以上で83軒の侍屋敷があり,川東・川西の両町から成り,侍町の南隣に上・中・下の商工人の町が形成され,寛政元年には町家134軒・人口725を数えた。地方支配,民政は本家大洲藩にたより,検地帳・年貢取立帳・御触書など本支藩同一の場合があった。小藩の故か絶えず財政窮乏に脅かされ,文化6年には破産の危機にたち至り,財政面で本家支配となって漸く破産をまぬがれた。4代藩主加藤泰広は好学で,天明3年藩校求道軒を設立したが,財政難のなかで廃校となったらしい。「藩制一覧」によって,明治初年の当藩の状況をしるすと,草高9,692石余,正税米3,824石余,諸雑税大豆1,295石余(米換算1,036石余),胡麻34石余(米換算27石余),戸数3,546・人口1万4,321,うち士族73戸・299人,卒族128戸・409人,町郷3,202戸・1万2,599人,うち男6,575人・女5,991人,修験11戸・25人。明治4年廃藩後,新谷県となる。