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幾春別川
【いくしゅんべつがわ】


空知地方を流れる1級河川。石狩川水系の支流。流路延長58.7km,流域面積343.4km(^2)。夕張山地の幾春別岳(1,063m)南端に水源を発して西南西に流れ,三笠市・岩見沢市を流下し,北村幌達布で石狩川に注ぐ。水源近くの上流で上一の沢・菊面沢・桂沢・盤の沢などの支流を合わせ,人造湖桂沢湖とダムもある。中流では右岸に奔別(ほんべつ)川のほか,弥生盤の沢川・藤(唐)松沢・ヌッパの沢の小支流,左岸に三笠幌内川・市来知(いちきしり)川を合し,谷底には河岸段丘が発達し,流域には三笠市の幾春別・本町市街地がある。下流の平野部では,岩見沢市街北部を過ぎ,同市西川町~河口は幾春別川放水路になる。この放水路は昭和36年に完成したもので,以前は西川町から南西に平野を流れて幌向川に注いだ。この区間の旧幾春別川は現在も残り,自然堤防の発達がみられる。上流の桂沢湖周辺は白亜紀層の化石群(アンモナイト・エゾミカサリュウなど)の産出地。中流域は夕張炭田北部の三笠炭鉱地帯となる。市来知から谷の出口までは,早くから野菜などが栽培され,市来知物として知られた。谷の出口下流の旧川向村には,明治35年道内最初の土功組合が結成され,明治38年に幾春別川から取水する灌漑水路を完成し道内の大規模稲作の先進地となった(岩見沢市史)。幾春別川は,上流が急峻なため洪水が多く,明治31・44年,昭和7・18年の大水害は地域発展に大きな打撃を与えた。第2期北海道拓殖計画により昭和16年から,函館本線鉄道橋より上流の谷底部の直線化と下流の放水路の工事に着手,直線化は昭和21年,計画の78%達成して完了した(三笠市史)。戦後は,北海道総合開発の幾春別川総合開発計画(昭和25年)で桂沢ダムが建設され(昭和26年着工,同32年竣工),洪水調節,下流域の護岸工事,灌漑水路の整備が進んだ。流域の産炭地は,石炭産業の斜陽化で,北炭幌内鉱を残すのみで,かつての盛況はない。下流の旧幾春別川流域の農業は減反政策以後,水田単作から,自然堤防を中心に,タマネギの栽培など畑作を加えている。桂沢湖を含む上流域は,富良野芦別道立自然公園(昭和30年指定)内にあり,湖の下流には国設スキー場もあり観光地となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7000476