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有珠山
【うすざん】


胆振(いぶり)地方虻田(あぶた)町・壮瞥(そうべつ)町と伊達市の境界にある山。標高727m。支笏洞爺国立公園内の洞爺湖南岸に位置する。山名はアイヌ語のウスヌプリに由来する。かつて有珠山の噴火により生じた善光寺岩屑流により海岸に形成された入江をウスといい,その近くのヌプリ(山)であることにちなむ。洞爺カルデラの南壁上に完新世初期に形成された,輝石安山岩溶岩と火山砕屑岩からなる基底直径約6kmの富士山型成層(コニーデ型)火山。山頂部に直径1.2~1.5km,標高460~540mの外輪山を持つ。火山本体に,寄生火山1(ドンコロ山),潜在円頂丘7(西山・金比羅山・四十三(よそみ)山・東丸山・西丸山・オガリ山・有珠新山),溶岩円頂丘3(大有珠・小有珠・昭和新山)を有する二重式火山。寛文3年から昭和52~53年まで,溶岩円頂丘の形成を中心に7回の大きな噴火記録がある。寛文3年の噴火では,大量の流紋岩質軽石が噴出したのち激しい水蒸気爆発が続き,降灰により山麓は3mの火山灰で覆われ,家屋の埋積焼失で5人が死亡。活動末期に火口原内に小有珠(こうす)(フシコヌプリ,古い山の意)が形成され,この活動の様子を松前藩主が幕府あてに報告した。明和6年,山頂で軽石噴火が発生。文政5年の噴火では熱雲のため南西麓のアブタ(現在の入江)の集落が焼失し,死者50,負傷者53,牛馬の死亡1,437の被害が生じ,その様子は有珠善光寺の役僧により詳しく記録された。この活動末期にオガリ山を形成。嘉永6年にも山頂東部で軽石噴火が起き熱雲が発生し,大有珠(アシリヌプリ,新山の意)が出現。明治43年には,火口原が大有珠・小有珠でふさがれたためマグマは北麓を襲い,45個の爆裂火口と約155mの隆起で屋根山が出現,形成時期にちなんで四十三山ないし明治新山と呼ばれた。昭和18~20年には東麓で地殻変動,屋根山の形成,水蒸気爆発,溶岩円頂丘形成を経て昭和新山が誕生。昭和52~53年には再び火口原内小有珠円頂丘の東麓から噴火,主な噴火は1週間内に14回あり噴出物の総量は約8,300万m(^3)に達し,付近の森林・耕地に被害を与えた。噴火後も地殻変動が続き有珠新山が誕生した。この新山は従来より約170m高まり標高640m,外輪山も北東部は外側に160m以上も押し出され,火口原はもとより主峰の大有珠もすっかり姿を変え,北東麓の建造物は地殻変動で大きな被害を受けた。その後の二次災害として集中豪雨による泥流が発生,温泉街南東部の町営木の実団地は泥流に埋没し3人の犠牲者を出した。その後300億円以上の巨費を投入し,砂防ダム・貯砂池・排泥流路など400基を超える防災施設が建設された。現在活動は沈静化し,外輪山東端のロープウエーも昭和57年に運行を再開し,多くの観光客でにぎわう。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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