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音更川
【おとふけがわ】


十勝地方の上士幌町・士幌町・音更町を流れる1級河川。十勝川水系の支流。流路延長94.5km,流域面積734.1km(^2)。石狩山地南部のニペソツ山(2,012.7m)北部に水源を発し,十勝平野を南流し,音更町と帯広市の境界で十勝川に注ぐ。上流域は,西側が然別(しかりべつ)火山群北部にもあたるウペペサンケ山・ニペソツ山など,北側と東側が三国山,西および南クマネシリ岳など馬蹄形に囲まれ,幌加川・糠平(ぬかびら)川などの支流が主に右岸側から合する。北北東―南南西方向に軸を持つ十勝造盆地構造の中心軸付近に河川が位置することなどから,中・下流では左岸側にはほとんど支流がない。下流の平野部沿岸も沖積低地に乏しく,数段の河岸段丘がみられる。寛政12年,幕府八王子千人同心配下皆川周太夫が十勝川を大津から溯上し,ヲトフケプト(十勝川との合流点),シカリベツブト(然別川との合流点)を通過した際の記録が最初とみられ,松浦武四郎も安政5年再度の十勝探検の際,音更河口に宿泊し,流域のアイヌの生活や上流の河川の様子の聞書きを残した(東蝦夷日誌)。本格的な探査は,明治7年,開拓使雇技師B. S.ライマンが音更川上流を十勝川本流と考えて下ったのが最初で(新撰北海道史),明治9年,開拓使大判官松本十郎が十勝開拓の予備調査として十勝川を溯上した際,音更川をさかのぼり,然別川を経て屈足(くつたり)に抜けた。流域の開拓は,河口付近の低地への明治12年の入植に始まる。上流域は,明治期末から林業が営まれ,北海道集治監帯広分監の囚人を使役しての木材流送も行われ,流送は昭和2年頃まで続いた。戦後,上流は十勝川水系総合開発の一環として,美里別川・利別川・足寄(あしよろ)川・然別川・本流との水系一貫型の発電を特徴とする電源開発がなされ,糠平ダム(昭和31年完成)を始め,同31年までに元小屋ダム(貯水量28万6,000m(^3))・幌加ダム(貯水量49万3,000m(^3))が完成した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7001589