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沙流川
【さるがわ】


日高地方を流れる1級河川。沙流川水系の本流。流路延長103.8km,流域面積1,337.2km(^2)。日高地方では鵡川に次ぐ長流。日高山脈北部の熊見山(1,175m)に水源を持ち,日高山脈西縁,夕張山地南縁を南西に流れ日高沿岸に出,門別町富川で太平洋に注ぐ。上流から日高町・平取(びらとり)町・門別町を流下する。大支流は左岸側に多く,上流からウエンザル川・パンケヌシ川・千呂露川・額平(ぬかびら)川,右岸側には仁世宇川がある。流域は全体的になだらかな地形であるが,日高町市街の上流や日高町・平取町との境界付近の三岩では先行谷を形成,峡谷をなす。峡谷部と,日高山脈中の上流を除いて,谷底には河岸段丘の発達が良好で,特に中・下流の沿岸には数段の段丘が連続的にみられる。川名は松浦武四郎の「東蝦夷日誌」にあるようにサルベツと呼んだこともあった。流域は,江戸期には沙流アイヌの中心地で,河口の富川は松前藩の日高七領の1つサル場所が寛政11年まで置かれ,日高地方西部における和人往来の中心になっていた。寛永9年~寛文8年,松前藩が沙流川に砂金採取の金山を開き,安政元年~明治元年にも砂金が採取されたという。流域の開拓は,明治9年仙台藩士族が下流の沙留太(現在の富川)・平賀の低地に入植したのに始まる。大正2年に沙流土功組合が結成されて河岸低地は稲作化が進み,昭和に入ると,段丘の高台を中心に馬産と酪農が行われた。上流域は,エゾマツ・トドマツ・イチイなどの針葉樹が多く,日高管内でも第一の林産地帯で,明治43年王子製紙苫小牧工場の操業に伴い,沙流川筋が10年間の年期特売を受け,支流の額平川を含め林産業が盛んになった。木材の搬出は流送が主で,明治42年に開始され,昭和25年まで続いた。流送は,春から6月までの融雪期に行い,上流では,各所に堤を設けて水を溜め,水門を開いて一気に流す堤流,中流では自然流下の散流,下流では筏流しが行われた。戦後の電源開発の一環として新冠(にいかつぷ)川・静内川との水系一貫型の電力開発が進められ,昭和32~36年に上流では奥日高発電所・奥沙流発電所(パンケヌシ川),中流では三岩ダム(岩知志ダム)および発電所,額平ダムおよび発電所(額平川)が建設された。全体に急流の部分が少なく,突発的な水害は生じにくいが,昭和23年に築堤工事が開始された。昭和56年の全道的な集中豪雨では,下流部の耕地・牧場が冠水,特に流木の堆積による被害が大きかった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7003463