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静内川
【しずないがわ】


旧名は染退(しべちやり)川。日高地方静内町を流れる2級河川。流路延長68.0km,流域面積649.8km(^2)。日高山脈中南部のナメワッカ岳に水源をもつシュンベツ川と,カムイエクチカシ山に発源するメナシベツ川が静内町農屋付近で合流して南西流し,静内町市街で太平洋に注ぐ。山地内では,谷底に一部河岸段丘も見られるが,一般に険しい峡谷をなし,下流では,新第三紀の堆積岩類からなる丘陵性の山地に直線状に大きく谷が開け,3~4段の河岸段丘と沖積地が発達する。また周囲の丘陵は海岸部では2~3段の海岸段丘になる。河口付近の静内は古くはシベチャリアイヌの中心地で,寛文9年ここを根拠地としてシャクシャインの蜂起が起こり,河口左岸の海岸段丘面にアイヌのチャシ跡と伝えられる遺跡がある。中・上流の本支流では寛永10年から砂金掘りが行われた。安政5年松浦武四郎は静内川を探検(東蝦夷日誌)。明治初期の開拓は,徳島県人が行い,開発の基礎を作った。現在,流域は軽種馬の馬産を主に,酪農と谷底沖積地における若干の稲作が営まれている。馬産は明治5年,開拓使が西隣の新冠川流域にまたがる新冠牧馬場を開設したことに始まり,現在は農水省の種牛生産牧場となっている。静内川は,上流が急峻なため,たびたび氾濫を起こし,昭和30年には河口の市街全域が湛水し,沿岸の入舟町は全滅した。戦後の電源開発で,日高地方の水系一貫型のダム建設が進み,春別ダム(シュンベツ川,昭和38年竣工)・静内ダム(静内川,同41年)・双川ダム(メナシベツ川,同54年)・高見ダム(同川,同58年)が完成し,これに伴い大きな水害は減少した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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