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手宮洞窟
【てみやどうくつ】


小樽市にある海食洞。国史跡。大正10年指定。小樽港の北地区,手宮町に位置し,集塊岩質の壁面には文字というより陰刻による彫刻に近いものがあることで知られる。付近にはかつてヲムマヤン・ビヨ(西蝦夷日誌)などと呼ばれたいくつかの海食洞があり,この洞窟は北防波堤基部のポントマリ岬の西にある。慶応2年に石工室伏長兵衛が発見したとされ,明治11年には榎本武揚が「此地嘗て石鏃,石剣及び陶器古髑髏を土中に掘り得たるを聞き……刻文あるを見る,写して東京大学に送」った(地名辞書)。翌年英国人ジョン・ミルンが調査し,その後陰刻の成立をめぐって諸説が展開され,墓碑説・記号説・突厥古代文字説・中国古代文字説なども出た。作成についてはコロポックル説やアイヌ説のほか,シベリアの原始的画像群との類似性なども分析され,解読に成功したとする研究も現れた。「小樽市史」によれば,市内の富岡町でも明治42年に類似の富岡古代文字が発掘されたというが,一時当洞窟の陰刻について作為説も出た。しかし昭和25年に隣町余市町栄町のフゴッペ洞窟で同様の彫刻が発見されたことから,信憑性が確認された。詳細は不明であるが,ほぼ続縄文時代の作成とされ,剥離防止のため樹脂加工工事が行われた。洞窟はかつて汀線付近にあったが,明治13年に開通した道内初の幌内鉄道のために埋立てが行われたため300mほど内陸にある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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