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利別川
【としべつがわ】


十勝地方を流れる1級河川。十勝川水系の第1の支流。流路延長149.8km,流域面積2,752.2km(^2)。白糠(しらぬか)丘陵の最北部,十勝地方と網走地方との境界をなす分水嶺に水源をもち,丘陵西縁に沿って屈曲しながらほぼ南南西方向に流れ,十勝川に注ぐ。上流から陸別町・足寄(あしよろ)町・本別町・池田町を流下し,十勝川との合流点は,豊頃町北端の十勝川の先行谷内にある。河川東側の白糠丘陵と,下流西側の居辺(おりべ)丘陵,上流西側の石狩山地南部山麓との間の丘陵間を流れるため,全体に緩流である。谷底平野は広くはないが,陸別町市街付近の中流から十勝川の谷底まで次第に谷幅を広げ,足寄町を中心に河岸段丘の発達がみられる。支流には下流から,右岸側に居辺川・美里別川・斗満川・勲禰別(くんねべつ)川,左岸側に十弗(とおふつ)川・本別川・足寄川・陸別川がある。流域は低山に囲まれ,十勝地方内陸にあるため,夏季は高温,冬季は特に上流の陸別川流域では極寒になるが,全体に雪は少ない。雪の少ないこの流域には鹿が集まり,アイヌの好狩猟場になり,美里別川河岸の原野で十勝アイヌと白糠アイヌが鹿を争ったという(足寄町史)。流域全体の記録は,安政5年松浦武四郎の2度の十勝探検の際の日記(十勝日誌・東蝦夷日誌)が最初。流域の開拓は,明治12年十勝川との旧合流点の利別太と,足寄川への入植に始まり(足寄町史など),十勝地方でも最初という。開拓初期には本別・稲牛など,主要地点に渡船場が置かれ,明治41年の網走線(現池北線)の開通(池田~陸別間)を契機に流域の開発が進み,大豆・小豆などの穀類を中心とした畑作地帯として発展した。戦後は,馬産から酪農への転換が図られ,近年酪農の比重が高まっている。明治中頃から支流域山地の木材が注目され,銃床材のオニグルミ,マッチ軸木のドロの木,パルプ原木のエゾマツ・トドマツが盛んに伐採され,明治34年頃から昭和12年まで,足寄川・本別川を中心に木材の流送が行われた(本別町史)。利別川は土壌が適度に乾き肥沃であるが,支流域を含め流域が広大なため洪水が起きやすく,河川改修は,昭和7年から本格化し,同12年には十勝川下流の直線化の大工事に伴い,当時利別太(池田町市街の西方)にあった合流点が現地点に切り替えられた。支流を含めての改修は昭和42年に一応築堤が完工した。戦後,十勝川水系一貫型の電源開発で,音更川上流の糠平(ぬかびら)湖から,芽登川・美里別川を経由して水路で結ばれ,足寄川との合流点や下流に仙美里ダム(昭和37年完成)が設けられ,ダム上流の仙美里発電所は,美里別川の活込(かつこみ)ダムから水を受け,ダム下流には本別発電所などがある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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