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百人浜
【ひゃくにんはま】


日高地方えりも町の襟裳岬北部にある砂浜海岸。かつて小越(おこし)と呼ばれた襟裳の漁村から庶野(しよや)のアアツ川に至る幅1km,南北15kmに及ぶ砂丘地からなる。地名は「東蝦夷日誌」に「其義,昔し一夜の時化に大船多く打上,水夫百余人死せしを埋めし」とある,盛岡藩士の遭難に由来するというのが通説であるが,「エリモと申所,古来金掘諸国より入込候処,蝦夷蜂起の節,盗賊のもの百人松前家より仕置有之及殺害候」(赤蝦夷風説考)という罪人処刑説もある。「えりも町史」によると,盛岡藩が東蝦夷地の警備にあたったのは寛政11年以降で,それ以前の「三国通覧図」(天明5年)にこの名がみえるため,「東蝦夷日誌」の記述は妥当性を欠く。「松前蝦夷図」などから地名の成立は17世紀の後半から18世紀とされる。東進してきた猿留(さるる)山道はこの海岸の中央部から北進し,庶野の集落に達する。この浜の北部には悲恋沼があり,文化3年に様似(さまに)等澍院の住職により100人の霊の供養のために建立された一石一字塔がある。沼周辺はキャンプ場であり,襟裳岬に至る観光コースの1つとなっている。この地域では明治期以来の乱伐により植生を欠くことから,強風時には飛砂があり,昭和28年から砂丘地の治山事業が行われ,防砂林が設置されたほか,ハマナスの群生地もある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7007275