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元浦川
【もとうらがわ】


「もとうらかわ」ともいう。日高地方浦河町を流れる2級河川。流路延長43.5km,流域面積239.7km(^2)。日高山脈の神威岳(1,600.9m)に水源を発するシュオマチナイ川と,ソエマツ岳に水源をもつソエマツ沢が合流して元浦川となり,山脈西麓および日高沿岸の丘陵を南西に流れて太平洋に注ぐ。山地内は先白亜系の堅硬な砂岩,泥岩類の山体を鋭く刻み急峻をなす。丘陵域は白亜紀,新第三紀の堆積岩からなる幅広い谷底平野が開け,中流の右岸に2段の低位河岸段丘,河口付近の左岸に中位・低位の河岸段丘を各1もつほか,沖積地が広がる。「浦河町史」によると,川名は古くはウラカワ(浦川)で,寛永年間,河口の荻伏にウラカワ場所が置かれ,文化4年幕府直轄の会所として現浦河に移されて,浦河会所と称したため,旧地は元浦川となった。文久2年の今泉宣徳「蝦夷客中日記」には流域について「船渡し牧場有り,処平地にして開墾すべし」と記す。寛文年間,中流左岸のヒトツ付近の支谷で砂金が盛んに採取され,シャクシャインの蜂起(寛文9年)直後まで続いたという(浦河町史)。安政5年,松浦武四郎は本流上流の相当奥まで探検し,砂金掘りが盛んな頃,和人が多く住み畑を開いていたこと,下流の平野は「畑地によろし」,「新家銕作といへる人牧場を取立てり」と記す(東蝦夷日誌)。開拓は,最初神戸に本拠を置いた赤心社から,明治14年浦河の西舎に第一陣,翌15年元浦河の荻伏に入植したのが始まりで,大正3年土功組合が結成されて馬産とともに稲作が本格化した。本格的な河川改修は昭和29年に着手され,昭和34年上流に砂防ダムが完成した。サケ・マスの放流河川で,昭和27年水産庁さけ・ます孵化場千歳支場の元浦川事業所が設置された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7008970