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夕張川
【ゆうばりがわ】


石狩地方を流れる1級河川。石狩川水系の支流。流路延長135.5km,流域面積1,417.1km(^2)。芦別岳(1,726.9m)・夕張岳(1,667.8m)の夕張山地主峰に水源を持ち,山地東部を西方に南へ迂回しながら流れ,由仁安平(ゆにあびら)低地に出て北西へ向きを変え,栗山町市街北西で馬追丘陵を先行谷として石狩平野に流れ,江別市街東方で石狩川に注ぐ。上流部は,大きくシュウパロ川・パンケモユウパロ川の二股に分かれ,中流の右岸側に志幌加別川,由仁安平低地で阿野呂川を合流させる。流域は,上流から夕張市・由仁町・栗山町・長沼町・栗沢町・南幌町・江別市の2市5町を含む。夕張川に和人が入ったのは,「夕張市史」によると,寛永12年以降約40年間の砂金採取が最初とみられ,以後安政4年の松浦武四郎の夕張川探検までその様子はほとんど知られていない。「夕張日誌」によれば,松浦は夕張川筋から千歳に新道をつけるため探査を行い,紅葉山から上流の記載もみられる。明治6年,開拓使雇技師B.S.ライマン一行が川を溯上し,滝の上付近で引き返したものの,流域に石炭の存在を予言し,明治21年道庁技師坂市太郎が志幌加別川に石炭の大露頭を発見した。これ以降本流・支流の各沿岸で相次いで石炭層が発見され,三菱鉱山,三井系北炭の二大資本系列により,流域は国内でも有数の産炭地となった。しかし昭和40年代以降石炭産業は斜陽化し,現在は若干の炭鉱を残すに過ぎない。石炭産業の隆盛とともに本流と志幌加別川沿いに明治25年夕張炭山鉄道(現夕張線)が開通,昭和56年これから分岐して支流ホロカクルキ川沿いを通る石勝線が開通し,沿岸は新たに交通要所となった。夕張川は大部分が山地内の急流であるため,下流へは肥沃な土壌と砂礫をもたらしたものの氾濫を繰り返し,下流の平野部には幾重にも河道変遷の跡が残る。「夕張市史」によると,幕末以前の一時期,夕張川は千歳川と漁川との合流点より2kmほど千歳川の上流に注ぎ,幕末には長沼町市街西のポンユウパリ付近を南に流れた跡がある。治水対策として,昭和11年,馬追丘陵の先行谷部以西の最下流部を,直接石狩川へ注ぐ放水路(延長24km)に切り替え,昭和38年には全面的な護岸工事が完成した。肥沃な下流平野部は明治35年の角田村土功組合結成以降稲作が隆盛になり,昭和初期には6,000haに及ぶ道内有数の水田地帯となった。しかし次第に水不足をきたし,戦前の北海道第2期拓殖計画で灌漑用の清水沢ダムが建設され,戦後はこの嵩上げ工事(昭和28年完成),上流の大夕張ダム(二股ダムともいう。多目的ダム,同36年完成),中流の川端ダム(灌漑目的が主,同38年完成)が竣工した。大夕張ダムとその堰止湖のシュウパロ湖,川端ダムとその上流の千鳥ケ滝は,夕張川の観光地となっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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