100辞書・辞典一括検索

JLogos

8

歴舟川
【れきふねがわ】


日方(ひかた)川ともいう。十勝地方大樹(たいき)町を流れる2級河川。流路延長64.7km,流域面積558.5km(^2)。日高山脈中央南部のヤオロマップ岳(1,794m)に水源を発し,山脈東麓を東に流れて十勝平野南端部に出,太平洋に注ぐ。上・中流は日高山脈内を流れて谷口付近までV字状の峡谷をなし,山麓下の扇状地に出て東南東に向きを変え豊頃丘陵南端部と山脈山麓末端との間を流れる。下流域は扇状地性の小海岸平野で,両岸に2~3段の河岸段丘,河口の海岸線付近に一部海岸段丘がみられる。川名の由来は,松浦武四郎の「東蝦夷日誌」に「ベルプネナイ詰てベロツナイと云。名義,ベルツウナイにて,ベは水,ルツウは押て下ると云こと。此川筋,嵐また西南の風吹時は急に出水する故,此名有」とあり,「北海道蝦夷語地名解」も松浦説を支持し,雨をもたらす南西の風を和人はヒカタトマリといい,別名日方川の語源とする。明治44年の5万分の1部分修正図では,歴舟をペルフネと読ませ,昭和31年まで大字名として歴舟村があった。寛永年間,松前藩がこの川で砂金採取を開始し,上流の歴舟中の川の河岸谷壁には相当大きく古い採掘跡が残る。砂金の調査は,榎本武揚(明治5年),開拓使雇技師B.S.ライマン(同7年),渡辺徹三(同35年)らが行い,明治末年頃,歴舟中の川河岸,下流の沖積堆積物下部でかなり採取された(大樹町史)。広尾には寛文年間に松前藩の場所が設けられて十勝地方の中心となり,近藤重蔵(寛政10年),伊能忠敬(同12年)の歴舟川下流部の通過,安政5年の松浦の歴舟川探検の記録が残る。流域の農業開拓は,明治20年代後半に始まり,現在は畑酪混合地域となり,海岸と山麓近くでは酪農が盛ん。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7009577