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礼文島
【れぶんとう】


稚内(わつかない)市の西方59kmの日本海に浮かぶ島。利尻島の北方12kmに位置する日本最北端の島で,1島1郡1町。利尻礼文サロベツ国立公園のうち。北には周囲4kmの海驢(とど)島,その北に礼文島の北端をなす岩礁の種島がある。周囲72km,面積81.97km(^2),東西7.9km,南北25.8kmにわたる細長い島で,中央部の最高地点礼文岳(490m)を除けば,全般に丘陵性の地形。北部は西のスコトン岬,東の金田ノ岬の間に直径5kmの半円形の船泊湾がある。東側の海岸線は穏やかだが,西側は所々の湾入にだけ砂浜がみられる程度で,ほとんどが急斜する海食崖。北部と南部に標高100m前後の第四紀洪積世の海岸段丘がある。北部の段丘上には昭和53年に供用開始した礼文空港がある。この島の形成は新生代第三紀あるいはそれ以前とされ,海底が台地状に隆起したもので,至る所に安山岩・玄武岩の柱状節理が岩脈として顕れ,一大奇観を呈する。化石やケイ岩・火打石(レブンメノウ)などを数多く産し,大正8年頃には石炭を採掘した。島全体に約300種の高山植物が生息する。中でもレブンアツモリ・レブンウスユキなどは貴重で,南部西海岸の桃岩一帯は200種余の原産高山植物で覆われ,道天然記念物に指定されている。集落は北の船泊と南の香深を中心に東海岸に集中。人類の居住は先史時代にさかのぼり,オホーツク文化期の遺跡が船泊や香深井で発見された。アイヌも居住し,チャシ跡などがある。貞享2年利尻とともに松前藩直轄のソウヤ場所の付属場所となり,アイヌとの交易が行われた。明和2年,利尻・礼文・宗谷が独立場所となり,幕末に至る。弘化3年,青森県人が和人として初めて漁場を開き,以後同県人が移住した。明治18年小樽~稚内間に定期航路が開通し,香深・船泊が寄港地となり,昭和10年には稚内・鴛泊(おしどまり)・香深を結ぶ三角航路が開設された。漁業は長い間,春のニシンと夏のコンブが中心で,明治期~昭和初期までは道南・青森県・秋田県などから季節的労務者(ヤン衆)が出稼に訪れ,活況を呈した。戦後ニシン漁は衰え,昭和29年を最後に途絶えた。現在はホッケ・タラ・アワビ・コンブ・ウニなどの沿岸漁業を主とする。昭和23年の金環日食観測で世界的に知られた。昭和25年道立自然公園,同40年国定公園となり,同49年国立公園に指定された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7009592