100辞書・辞典一括検索

JLogos

15

岩木山
【いわきさん】


津軽富士とも呼ばれ,岩城山・厳城山とも記される。西津軽郡鰺ケ沢(あじがさわ)町と中津軽郡岩木町にまたがる休火山。標高1,625.2m。本県の最高峰。昭和50年3月31日津軽国定公園内に指定。鳥海火山帯に属し,津軽平野の南西部に位置する独立峰。新生代第四紀洪積世の火山で,両輝石安山を主とする安山岩類,火山砕屑物,火山泥流などで構成される。山体はコニーデ型。南東方から望むと,山頂は外輪山とされる北肩の巌鬼(がんき)山,南肩の鳥海山とこれに挟まれたトロイデ型の中央火口丘の岩木山の3峰に分かれる。標高500m付近から上方の山腹は,南西側で35°以上,北東側で25°程度の急斜面となるが,同付近から下方は5°ほどの緩斜面をなし,すそ野は広く延びる。山腹には標高672.6mの笹森山,887mの黒森,431mのヤンサ森,403.4mの森山などの寄生火山を有し,西方山麓には新生代新第三紀の岩石で構成される小丘を見る。北方には,火山泥流に起因する十腰内(とこしない)小丘群で代表される60数個の小丘がある。また,往時の火山活動を物語る爆裂火口地形が10個以上数えられており,火口内部の構造を知る上で重要視される。最大のものは当山北部にある赤倉爆裂火口で,短径300m・長径600mの馬蹄形をなし,深さは100mに達する。周囲の岩石は著しく変質し,赤褐色を呈しており,赤倉の由縁を示す(津軽の岩木山)。赤倉沢では,この火口から流出した溶岩の様子を観察できる。このほか,外輪山の西方を吹き飛ばしたとされる追子(おいこ)爆裂火口・西法寺火口がある。さらに,昭和45年火山性異常現象を起こした赤沢や湯ノ沢爆裂火口も知られる。一方,中央火口丘に形成された爆裂火口跡として直径50m・深さ50mの円筒形をした鳥の海爆裂火口や同程度の規模で,現在池沼となっている種蒔苗代爆裂火口があり,後者は明治期には直径35m・水深2mもあって,時折噴気さえ生じていたといわれる(同前)。噴火の記録は,「岩木町誌」によれば天正17年があるが,「津軽地方学術調査報告」には,余燼的活動として慶長2・5・9・10年,元和4年,寛文12年,元禄7年,宝永6年,明和7年,天明3年,寛政2・5・6・12年,文化4年,天保4年,弘化元年・2・4年,安政3年,文久3年を掲げている。火山活動に伴う温泉が,周囲山麓に湧出し,岳温泉・湯段温泉・三本柳温泉が古くから知られており,ボーリング泉として百沢温泉がある。中腹から山麓にかけて放射状に分布する開折谷は,標高1,000m付近から発し,東部斜面および南部斜面では岩木川に,西部斜面では中村川に,北部斜面の谷は山田川に注ぐ。昭和50年8月6日集中豪雨によって百沢集落上部の蔵助沢で土石流が発生し,死者22人,重軽傷者31人,家屋の全半壊26戸という惨事が記録される。水源涵養林となる山麓一体の森林は,ブナ・ミズナラ・ハウチワカエデなどで構成されていたが,伐採されて,広くカラマツの人工林と化し,さらに,耕地や草原となっている。自然植生は中腹以上に残存する。標高500m付近から1,100m付近までは,日本海型の植生構造を呈するブナ林で占められるが古木(大木)は見られない。この上部はチシマザサ草原となるが標高1,500m付近までの沢筋や崩壊岩石地には風衝矮化したダケカンバやミヤマハンノキが生育し,コヨウラクツツジ・ハリブキなどが混生する。八甲田山などでは,垂直分布上この位置にはアオモリトドマツなどの針葉樹林帯が発達するが,当山ではこれを欠く。この上限からハイマツ帯となり,斜面や凹地には亜高山植生を示す草原や雪田植物群落が発達する。ここに,特産種として知られるサクラソウ科の植物,ミチノクコザクラが生育する。ミチノクコザクラは,フランス人の植物学者フォーリー神父が当山で採集し,明治19年にフランスの植物学者フランシェによって記載された植物で,同35年牧野富太郎博士が命名。エゾコザクラの変種とされたが,学者によっては,ハクサンコザクラの変種または亜種とする。ほかにミヤマハンノキとヒメヤシャブシの雑種,イワキハンノキも発見されている。津軽平野一円から望まれる秀峰は,古くから山岳信仰の対象とされる。五穀豊饒を祈願して毎年旧暦の8月1日の「ついたち山」をめざし津軽地方一帯の各村々の人々が集団で登山を行うお山参詣がある。登山口としては,岩木町百沢口・岳口のほか,北側の大石口・鰺ケ沢町長平(ながたい)口などがある。お山参詣は,百沢口にある岩木山神社を中心に行われ,神社前広場や沿道に多くの出店が並び,登山囃子大会なども開催されてにぎわう。夜半,岩木山神社を出発し松明をかざしながら約3時間で山頂に到着,岩木山神社奥宮に参拝して御来光を仰ぎ下山する。元来,女人禁制の霊山とされていたが,現在は女性の登山者も多く,昭和40年8月開通した有料登山車道津軽岩木スカイラインを利用する人も多い。古記によれば当山はアソベの森と呼ばれ,アソベは古代語では火を噴くを意味するという(同前)。これに関し,「岩木町誌」によれば菅江真澄の紀行文として「阿曽閉(あそべ)の森 延暦十五年坂上田村麿ゑみしらをむけたひらげ玉ふ頃は,この山の名を阿曽閉の森としあやしのもの住みぬ」とあり,民話として知られる「山椒太夫」のほか「岩木山と東岳の戦」,「小栗山権現と岩木明神の取合」など数多い。「岩木山の鬼」(百沢寺古記・岩木町誌)に「岩木山ノ根元ハアソベノ森トテ小キ森ニアリケル。是ニ鬼ノ住ヨシ都ヘ聞ヘ篠原ノ国司花ノ長者ノ御子花若丸ト云人熊野住吉天王寺ノ御夢想ニテ上下六人ニテ当国深浦ト云処ヘ下リ夫ヨリ大浦ヘ御越シ奥州勢ヲ催シ山ヲ狩リ玉ヒドモ験コレナキニツキ右山ニ逗留シ即チ卍字錫杖ヲ旗印トシテ鬼神ヲ攻平ケ賜ウ,鬼ノ女一人アリ是ヲ助ケ置キ人間ハ云ニ及バス畜類迄怨ヲナシマジトノ起清文ヲ書セ一命ヲ助ケ玉フ今ノ赤倉ノ洞ニ住居セシヨシ,其後岩城判官正氏ノ姫安寿ノ前ト云人飛来リ玉ヒ即明神ト現シ玉ヒ此上ニ留リ玉フ其験有ヲアソヘノ森忽ニ大山トナル云々」とある。山麓と広いすそ野一帯は,酪農を主とした岩木実験農場・大石農場・岳農場など大規模営農を目的とした開拓が試みられた。南麓は,昭和50年岩木高原県立自然公園に指定されるに及んで,農場の再開発を含め,岩木町岳ゴルフ場・百沢野営場・オリエンテーリングコースの設置,国民宿舎・岩木青少年スポーツセンター・岩木山国定スキー場の開設,豊富な縄文時代の遺跡や史跡を生かした教育施設や観光・レクリエーション施設の建設・整備が行われている。登山での遭難はあまり聞かないが,昭和38年1月,秋田県大館鳳鳴高校の死者4名を出した事件が特筆される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7010037