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屏風山
【びょうぶさん】


屏風山砂丘ともいう。津軽半島の西岸にある砂丘地。南北約30km・東西3~5km。津軽国定公園に属す。南は鳴沢川(鰺ケ沢(あじがさわ)町),北は十三湖,東は津軽平野に限られ,西は七里長浜を経て日本海に面している。屏風山層と称される洪積世に形成された砂層を基盤とし,その上に岩木山起源と推定される火山灰を挟んだ2層の砂層が堆積する。わが国における代表的縦列砂丘として知られるが,U字形砂丘も多く存在する。平均標高は約40m,最高点は,北部の往古之木嶺(おこのぎながれ)(標高78.6m)。砂丘間の凹地には湿原が形成され,多くの池沼が見られる。特に南部の出来島(木造(きづくり)町)付近には,大滝沼・平滝沼・ベンセ沼を中心とした広大な低層湿原が広がる。春には沼の周りにミズバショウが咲き,初夏にはニッコウキスゲの大群落やノハナショウブ・トキソウ・サワラン・ミズチドリなどの群落が咲きそろう。北部には,隠沼湿原・ジュンサイ沼などの高層湿原が点在する。ミズゴケを基盤とし,その上をツルコケモモが覆い,一部は浮島状となっている。湿原の下層には泥炭層が挟在し,サルケと称され,燃料に使用された。北端の十三湖水戸口付近には前潟・中湖・明神沼といった海跡湖が見られる。津軽平野との境には袴形池・牛潟池・大溜池をはじめとして,多くの農業用溜池が築造されている。砂丘上は,防風・防砂林として植林されたクロマツと,カシワを中心とする落葉広葉樹林に覆われる。植林事業は,日本海から吹き込む潮風と飛砂の防止を目的として天和2年に開始され,元文2年には植付総数86万2,200本に達した。これにより,木造新田は岩木川と田光(たつぴ)沼,山田川,その他の河川の改修と相まって,66か村,田畑4,000町歩の開墾がなされたという(西津軽郡誌)。天明・天保年間の飢饉では,盗伐で荒廃したが,安政年間に復旧にかかり,明治7年までの間に177万9,400本が植林された(同前)。明治以後は国有林に編入され,保存林として植林の継続と保護が行われた。昭和34年国有林の一部が関係町村に払い下げとなり,スイカ・メロンなどの栽培が行われ,同47年からは国営農地開発事業が進められている。屏風山は,弘前藩4代藩主津軽信政による命名と伝え,名の由来は,砂丘の連なりが屏風を立て回したように見えることによるという(西津軽郡誌・車力村史)。屏風山中の西津軽郡車力村牛潟の七里長浜寄りには高山稲荷神社があり,農業・漁業・商業の神として広く信仰を集める。また,木造町亀ケ岡には,縄文晩期の亀ケ岡式土器で知られる亀ケ岡遺跡がある。屏風山南部の天皇山(57.1m)には,壇ノ浦(山口県)で入水した安徳天皇が安東氏により助けられ,この丘を行在所としたという伝説がある(車力村史)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012557