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一戸
【いちのへ】


旧国名:陸奥

(中世)南北朝期から見える広域地名。糠部(ぬかのぶ)郡のうち。馬淵(まべち)川の上流域一帯を指す。二戸との境は浪打峠。馬淵川に流入する安比(あつぴ)川の上流域も含まれる。現在の一戸町・安代(あしろ)町・浄法寺町などの地域にあたる。鎌倉期,一戸をはじめとする糠部郡全域の地頭職は鎌倉北条氏の掌中にあった。北条氏は糠部の所領管理のために,数多の代官を派遣した。工藤・横溝・大瀬・浅野・合田・南部などの北条氏被官が代官となったことが知られる。鎌倉幕府滅亡後の建武元年,糠部郡の北条氏所領は没収され,代官も交替させられることとなった。一戸のうち工藤四郎左衛門入道跡は没収されて,南部・戸貫(稗貫(ひえぬき))・河村の3奉行に預置かれ,同じく浅野太郎跡も横溝孫次郎に宛行われることとなった(遠野南部文書建武元年4月晦日多田貞綱書状・同年6月12日北畠顕家御教書)。あるいはまた,一戸全域が中条(稗貫)出羽前司時長の給地とされたと想わせる史料も存在する(遠野南部文書建武元年10月6日陸奥国宣)。北条氏滅亡後の糠部郡は,諸家の草刈場となった。しかし,旧北条氏被官の一員たる南部氏の勢力が次第に強まり,南北朝期を過ぎて室町期に入るころには,糠部郡全域が南部氏の傘下に入ることとなった。一戸南部氏は南部光行の長男,彦太郎行朝の後裔と伝える(県史2-227頁)。だが,鎌倉期の一戸は南部氏の領地ではなく,一戸南部氏が南部本宗から分家したのは,南北朝後半~室町初期のこととみられる。一戸南部氏の本拠地は一戸城。一戸南部の勢力は諸方面に及び,数多くの分家を生みだした。岩手郡西根の荒木田・平館・堀切・寄木,閉伊(へい)郡の千徳・八木沢・津軽石・江繋,久慈方面の久慈・野田・閉伊口・種市,鹿角方面の長牛・谷内,さらには津軽(青森県)の中村・十二屋・浅瀬石などの諸家が一戸の系統と伝える(県史3-432頁)。しかし,戦国期には二戸九戸城の九戸氏の勢力が強まり,一戸氏の家運は下り坂をたどることとなった。天正9年一戸兵部大輔政連は平館城主一戸信濃守政包に謀殺され,一戸本宗の血統は途絶えた。政連殺害の黒幕は九戸政実という。「南部の一族,一戸兵部大輔政連と云けるは,彦太郎行朝の嫡流にて代々,一戸の城主として,三千石を領地しける。然るに,天正九年七月十八日夜,政連の弟,一戸信州不意に起りて政連の寝所に乱入し,兄兵部を切殺し……其紛れにて兵部が一子,出羽も切殺さる。是にをひて数代相伝の一戸家断絶に及びける」と記されている(奥南旧指録,県史3-434頁)。天正20年一戸城は南部信直の手によって破却されることとなった。「諸城破却書上」には「一戸 平地破 信直抱 代官石井信助」とある。一戸城の破却は当地域における中世の終末を示す象徴的な事件であった。中世の糠部郡は馬産地として天下に聞こえた。「源平盛衰記」には,熊谷次郎直実の乗馬,一戸産の権太栗毛のことが記されている。この馬は直実の家人,権太という舎人が上品の絹200疋を持って陸奥一戸にまで下り,牧のうちを走り廻って捜し求めた名馬。「太逞ク,コタヘ馬ノハタハリル逸物也」とあった。権太栗毛の乗替用として牽かれた西楼という秘蔵の名馬も糠部の出身で,「三戸立」の馬であった。「白キ馬ノ太逞カ,尾髪飽迄足レリ」と記されている。室町期の「永正五年馬焼印図」によれば,一戸7か村の牧から京進された馬には,両印雀の烙印(左右に雀の印を付す)が押されていたという。大柄の馬が多かったともいう。なかでも桂清水の馬は大馬で,片車の烙印が押されていたという(古今要覧稿)。桂清水は桂清水観音,すなわち天台寺の在所。安比川上流の浄法寺付近が二戸ではなく,一戸のうちに入ることが知られる。紀州熊野の「米良文書」に収められた南北朝期の旦那願文(交名)には,「一,又常陸阿闍梨真弟大弐阿闍梨房引導たんなの事,ぬかのふの内,九かんのへ(戸)よりまいり候たんなハ,ミなミな当坊へ可参候,又一のへ(戸)のいつかたいの中務殿も御参詣候」と見える(貞和5年12月29日奥州持渡津先達大進阿闍梨注進旦那願文)。糠部一~九戸から紀州熊野に参詣の道者(旦那)は,全て大弐阿闍梨に引率されていたことが知られる。岩手郡西根の一方井氏(中務)までも,一戸の名を冠せられているのは,同氏が一戸南部の同族であることによるものか。同じく「米良文書」天文7年の旦那交名には,「奥州一戸住人」として,安倍丹後守・工藤名宮如・とき名宮如・南部与九郎・畠山式部・工藤弥八・おい田大炊助らの名前が見える。このうち,工藤ときは八戸南部の一族工藤与四郎の一族か。おい田大炊助は南部政経の重臣太田大炊助,南部与九郎は一戸の長牛与九郎か(県中世文書中‐36頁)。戦国期一戸の状況は,この交名からもその一端をうかがうことができる。なお,一戸産の名馬として,諸書に知られるものには,一之部黒(異本平治物語),一戸黒(太平記),若白毛・一名町君(源平盛衰記),一戸鹿毛(本朝細馬集・織田家譜)などがあったとされる。猿楽狂言「うつほ猿」の小歌にも,「一の幣(戸)立,二の幣たて,三のへたて,三に黒駒,信濃を通れ,専当殿こそ勇健なれ」とあった(地名辞書)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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