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岩手山
【いわてさん】


当山の呼び名・表記は多く,岩鷲(がんじゆ)山・岩手富士・南部富士・南部片富士・巌手山・磐手山・岩堤山・霧山岳・薬師岳・薬師カ天井などがある。岩手郡の松尾村・西根町・滝沢村・雫石(しずくいし)町にまたがる山。標高2,041m。名称の由来は,乱暴を働いていた鬼が改心の約束のため岩の上に手形を押したことによるという説(盛岡砂子),玉山村渋民の突き出た巨岩にちなむ岩出の森によるという説(地名辞書),アイヌ語のイワァ・テェケ(岩の手・枝脈)イワァ・テェ(岩地の森林)によるという説などがある。近年,岩手火山の噴火活動によってつくられた多数の泥流丘,すなわち流れ山に関係する,岩出森=岩出盛によるという説が出されている。別称の岩鷲山は残雪がワシの形に似ていることによるともいわれる。古歌では「みちのくのいはでしのぶはえぞしらぬかきつくしてよつぼの石ぶみ」(新古今集),「しばしともいはでの杜の紅葉ばは色に出てこそ人をとめけれ」(夫木集)などのように「言はで」(物言わぬ)にかけて読んでいる。岩手の心を象徴する山が物言わぬ山とされているのは興味深い。「盛岡の風景は岩手山によって生きている」(日本百名山)といわれるように,朝夕・四季折々に移り変わる趣は市民の敬愛の的となっている。南部富士の名はその優姿を東方から眺めて円錐形をなしているところから,南部片富士の名は南方から眺めて左右非対称をなしているところからつけられたものである。当山は生成の古い西岩手火山と新しい東岩手火山からなる。西岩手火山は大地獄火山の噴出物で構成され,カルデラの中に御苗代火山や御釜火山などの中央火口丘がある。御苗代火山の小さなカルデラの中にも小火口があり,三重火山の特色を備えている。東岩手火山は西岩手火山大地獄カルデラの東側に位置し,その中に鬼又沢カルデラがあり,薬師丘はその中央火口岳,そして薬師火口の中にあるのが妙高火山である。鬼又沢火山の火口壁は薬師岳の噴出物によって埋められているが,一部は鬼ケ城・屏風岩となって残る。西岩手火山の大地獄カルデラは東西2,500m・南北1,500mあり,南側カルデラ壁の西外れにある黒森山(1,568m)はその寄生火山である。御苗代火口は直径450mのカルデラで,中央火口丘の頂にある小火口は長径150m・短径100mである。小火口の西側の火口壁は破れてカルデラに続き,馬蹄形の湖となっている。中央火口丘の東に直径43mの御釜火口がある。東岩手火山の鬼又沢カルデラは,東西1,250m・南北1,700m,薬師岳火口は直径500mある。御鉢と呼ばれる外輪山の北北西部の最も高い所が薬師岳の山頂で,同時に岩手山の山頂ともなっている。御鉢の中にある中央火口丘の火口は,長径200m・短径125mで御室と呼ばれている。歴史時代に入ってからの火山活動の記録は,天和3年のものが最も古い。その後の記録は,貞享2・3・4年,元禄2年,享保4・14・16年,大正8年と続いている。このうち最も大きい活動は貞享2年から元禄に至るものと,享保4年のものである。貞享3年の活動は,噴火のため2月29日から3月1日まで空が真っ黒となる日が続き,同3日10時頃から盛岡の町は激しい降灰に見舞われ,提灯すら利用できなかったという。山麓の一本木付近は雷が激しい音をたて,直径10m前後の岩塊や大小の樹木が地響きをたてて地上に降り,降灰と煙のために近くの人の姿さえ見えなかったという。享保4年の活動は東岩手火山の中腹に焼走りが出た噴火として知られる。この年の正月,おびただしい火山砂礫とともに多量の溶岩と泥流が山麓に向かって流れ出ている。溶岩の噴出源は標高970mの山腹斜面で,東北東に向かって流下した溶岩は末端部で幅1.5kmに及び,俗に虎形と呼ばれている。溶岩流は,昭和27年焼走り溶岩流として国特別天然記念物に指定されている。東北の霊山として当山を奉祀したのは,大同2年の坂上田村麻呂と伝えられる。厨川城主の厨川工藤氏は,鎌倉期から当山の祭典を奉仕した家柄であったという。南部氏は盛岡に居を移して間もなく,霊山岩鷲山を治国鎮護の中心とするため三方の登山口の別当を優遇。住民もまた岩鷲山権現を信仰している。明治2年,岩鷲山権現は岩手山神社と改め神道を奉祀している。高山植物は5合目からみられるが,国天然記念物になっている岩手山高山植物帯(滝沢村)は9合目の不動平と呼ばれる火口原から頂上付近までである。頂上一帯はイワブクロ・コマクサ・キバナノコマノツメなど日当たりと乾性を好む第1次性の植物が群生,不動平一帯は第2次性の高山植物であるハイマツで覆われ,両者の植物相にきわだった特色が認められる。登山コースは,南西の岩手山麓国民休暇村から大倉(鞍)山を通って山頂に至るもの,南の西山新山遥拝所から御神坂(おみさか)と呼ばれる尾根筋を通って山頂に至るもの,東の柳沢口から馬返しを通って山頂に向かうもの,北東の国鉄大更駅から焼走り溶岩流を通って山頂に向かうもの,北の松川温泉から姥倉山を通って山頂に向かうものに代表される。国民休暇村から犬倉山・三ツ石山・大深岳・畚(もつこ)岳を経て藤七温泉・八幡平に至るコースは裏岩手連峰縦走コースとして有名。県人が岩手山を作品の対象にした例は多い。宮沢賢治は「そらの散乱反射のなかに 古ぼけて黒くゑぐるもの ひしめく微塵の深みの底にきたなくしろく澱むもの」,石川啄木は「岩手山秋はふもとの三方の野に満つ虫を何と聴くらむ」,山口青邨は「秋晴れや空より青き岩手富士」とうたっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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