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九戸
【くのへ】


旧国名:陸奥

(中世)南北朝期から見える広域地名。糠部(ぬかのぶ)郡のうち。瀬月内川流域の山間地帯。現在の九戸村にあたる。雪谷川流域の軽米(かるまい)町域も九戸のうちに入るとみられる。東は東門(種市方面)・久慈郡,西は一戸・二戸,南は南門,北は八戸と境を接する。鎌倉期,糠部郡全域の地頭は北条氏。一戸~九戸の各地域には,北条氏の一族・被官が代官として派遣された。鎌倉末期,九戸の地頭代官は北条氏一族の右馬権頭茂時であった。建武政権が発足して,新たに陸奥国司となった北畠顕家は右馬権頭茂時の所領を没収して,結城参河前司親朝に与え,「貢馬以下においては,懈怠なく沙汰をいたすべし」と命じた(白川結城文書元弘3年12月18日陸奥国宣)。結城親朝は南奥州白河荘の地頭。北畠顕家の最も頼りとする武将であった。「貢馬」とあることは,九戸が馬産地として重要視されていたことを示すものである。しかし,他所者の結城氏は郡内に根を下ろすことに成功しえず,南部氏の勢力が次第に浸透することとなった。南北朝期を過ぎる頃には,南部氏の九戸領有が確立したものとみられる。室町期の「永正五年馬焼印図」(古今要覧稿)には,「九部 印雀」と見える。この時期に京進された九戸産の馬には,雀印の焼印が押されていたことが知られる。戦国の雄,九戸氏は伊保内の大館(宮野城)・熊野館,長興寺の大名館を根拠地として,当地方に威を振るった。九戸氏の始祖は南部初代光行の五男,五郎行連と伝える。ただし,建武年間の地頭,結城親朝の侍大将(代官)小笠原政康を九戸氏の始祖とする所伝もあり,一考を要する(九戸地方史)。江刺家・小軽米などの郡内諸家は九戸氏の別れと称する。九戸政実が新たに二戸地方を手中に入れ,白鳥の地に城を築き,九戸城と称して本拠地としたのは,永禄11~12年頃といわれる。九戸政実は北奥屈指の大勢力となったが,三戸南部信直と争い,信直を支援する豊臣秀吉の仕置軍の攻撃を受けて滅亡した。九戸城の陥落は天正19年9月4日であった。戸田・伊保内・江刺家などの諸氏も九戸氏と運命を共にした。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7014410