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衣川
【ころもがわ】


北上川水系の支川。1級河川。胆沢(いさわ)郡衣川村を流れる。延長27km。平泉中尊寺の北側を流れ北上川に合流する。合流点の北側に旧跡衣川柵がある。水源を秋田県境媚山(684m)に持つ北股川と高手山(867m)から流れる南股川が合流し,衣川として東流して坂下付近で北上川に注ぐ。北股川上流に増沢ダムが作られ治水対策が進む。支流に滝の沢川・戸河内川・徳沢川がある。古くは中尊寺のある関山(せきやま)の山すそをめぐり,高館(たかだち)の下を流れて南東流,北上川に注いでいた。今日はその旧衣川河道を北上本流が河道としており,衣川は,流路をまっすぐ東にとって,北上本流に直交するような形で流れている。今日では,北上川支流としても小河川に属するが,歴史的に,この川は,多賀城以北で最も重要な意味を持った川である。胆沢から北が,奥蝦夷の国(日高見本国)とみなされていたため,衣川までの磐井と,衣川から北の胆沢との間に,内外の線を引く考えがあった。延暦8年の胆沢経営戦では,衣川を北に越えた各地に「衣川営」と呼ばれる陣地を設けて,これを進攻の拠点とした。鎮守府胆沢城が成立すると,衣川の地に衣川関(衣関)が置かれ,胆沢出入りの関門とした。安倍氏が奥六郡の領主となると,安倍の本宗は衣川に館を設け,ここを六郡統治の府として,鎮守府の実権を奪った。この衣川館は,のちの平泉館の前身となるものである。そして,これまでは,政府側の固めだった衣川関は,安倍氏の南への進攻の拠点に再編成され,この衣関攻防が前九年の役における天王山の役目を果たす。平泉は,この関山を中尊寺の霊域と化し,この山のふもとに首都を開いて,奥羽100年の治をいたす。すべて衣川という川の持つ自然の法則に従って展開した歴史である。紀貫之は「身に近き名をぞ頼みし陸奥の衣の川と見てや渡らむ」と詠んでいる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7014635