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斯波村
【しわむら】


旧国名:陸奥

(古代)平安期に見える広域地名。陸奥国北辺,のちの斯波郡・岩手郡方面によった蝦夷のクニの名。古代蝦夷村は,大和や律令の日本が建てた村と違って,大和時代の国,律令時代の郡相当の広さを持っていた。斯波村もその1つで,これが後に斯波郡に再編成される。岩手郡は,その斯波村=斯波郡の北部を独立させたものと考えられる。「類聚国史」延暦11年正月11日条に,斯波村の夷胆沢公阿奴志己(あぬしこ)らが,国府に従おうとしても伊治村(宮城県栗原郡,これも蝦夷村)の蝦夷がさえぎって望みを達しえないと訴えている記事がある。この斯波村は,「日本後紀」延暦8年の胆沢経営戦に関する記事では「子波」と書きあらわされている。これに対して,「続日本紀」宝亀7年5月2日・同8年12月14日条には「出羽国志波村の賊」とあり,この「志波村」が「斯波村」と同じかどうか,同じとすれば,出羽は陸奥の誤りかどうかということが問題になる。結論的に,この志波村は斯波村と同じものとすべきである。斯波村に建つ斯波城が「志波城」と書かれていることでもそれは想像できる。それならば,「出羽国志波村」は「陸奥国志波村」の誤りということになるが,しかしこれはそう書かれる理由があった。この時,陸奥国では胆沢方面の蝦夷経営を計画し,出羽国には「雄勝よりしてその西辺を伐つ」ことが命ぜられていた。胆沢(いさわ)とその奥の斯波とは一連のものと考えられていた。斯波は出羽の担当である。そこでこれを出羽国内と混同する記事も出てきたと考えられるのである。延暦8年・13年・20年の経営を経て,同22年志波城が建ち,弘仁2年斯波郡が置かれて斯波村は郡に編成されていった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7014971