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遠閉伊村
【とおへいむら】


旧国名:陸奥

(古代)平安期に見える広域地名。閉伊地方の奥地帯を指した。「村」字を付しているが,これは「方面」「地方」ぐらいに解すべきである。「遠胆沢(とおいさわ)」と同じ用法。「日本後紀」弘仁2年12月13日,文室綿麻呂らによる爾薩体(にさつたい)・閉伊2村征定を嘉賞する詔に「又,故大納言坂上大宿禰田村麻呂等を遣して,伐ち平げしめ給うに,遠閉伊村を極めて,略掃い除きてしかども」云々とある。これは,注目すべき記事である。延暦8年の胆沢戦の模様は,詳しく「続日本紀」に見えるが,ここでは,閉伊方面の経営については全くふれるところがない。延暦13年・同20年のものは,田村麻呂らによるもので大勝をおさめたが,「日本後紀」の記事が欠け,「日本紀略」の記事が簡にすぎて,具体的なことが全くわからない。田村麻呂の征定が,北上峡谷地帯を斯波方面まで進んだものらしいことは想像できるが,閉伊方面のことを推測せしめる手がかりは残していない。しかし,弘仁2年宣命によって,それが閉伊の奥まで及んだことがわかる。ただしここの遠閉伊は,「遠く閉伊の奥まで」という程度の意味である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7015441