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東門
【ひがしかど】


旧国名:陸奥

(中世)鎌倉期から見える広域地名。糠部(ぬかのぶ)郡のうち。糠部郡の東南辺,種市を中心とする海岸地帯を指す。九戸の東,八戸の南,久慈郡の北を占める。現在の種市町・大野村に階上村(青森県)を加えた地域がそれに当たるか。鎌倉後期の正安3年に記された「きぬ女家族書上」の冒頭には,「八戸これかは(是河)の安藤三郎かめ(妻)きぬをんな(女)ハ,ひかしのかと(東門)たね(種)一のもくし(牧士)きとう四郎には,つくかたのめひ(姪)や」とある(岩手大学所蔵新渡戸文書)。東門種市に住むきとう四郎は牧士。さすが,馬産地ならではの職業であった。書上には,北門・西門,三戸・五戸・八戸などの地名も見え,いわゆる九戸・四門の制が成立していたことが知られる。鎌倉幕府滅亡後の建武元年6月,北畠顕家の御教書には,「久慈郡并東門事,当給人辞申候,仍未差遣代官歟,無沙汰之条,以外之次第也」と見える(遠野南部文書)。久慈郡と東門の両者が北条氏所領として没収され,新給人に宛行われることとなったこと。しかし,遠隔地のことゆえ新給人の代官派遣もままならず,辞退するに至った事情が知られる。南北朝期を過ぎて室町期に入る頃には,南部氏の支配が糠部郡全域において確立する。東門もその例外ではありえなかった。東門と久慈郡は,建武年間の事例からも知られるように一体視される傾向があり,室町・戦国期にはことにその傾向が強かったようである。両者ともに南部系久慈氏の支配下に属したことにもよるか。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7015859