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南門
【みなみかど】


旧国名:陸奥

(中世)南北朝期から見える広域地名。糠部(ぬかのぶ)郡のうち。馬淵(まべち)川の最上流,現在の岩手郡葛巻(くずまき)町付近にあたる。一戸との境は青苅峠。鎌倉期,南門を含む糠部郡全域の地頭職は鎌倉北条氏の掌中にあり,多数の北条氏被官が代官として派遣されていた。鎌倉幕府滅亡後の建武2年2月陸奥国府は「糠部郡南門内,横溝弥五郎入道跡」を横溝彦三郎祐貞に引き渡すべしという命令を南部又次郎に対して発した(遠野南部文書建武2年2月21日陸奥国宣)。横溝弥五郎入道は北条氏被官。北条氏とともに没落したものとみられる。その跡地を給せられることになった彦三郎祐貞は,新政府の側に転属した人物である。同じく「糠部郡南門内,横溝六郎三郎入道浄円跡」も没収されて,伊達五郎入道善恵に給せられた(遠野南部文書建武元年7月2日国宣)。しかし,伊達五郎はこれを辞退したので,当地は横溝孫六重頼に給せられることになった。奉行人の忘却によって横溝彦三郎の給地とされるなどの事件もあったが,孫六に返給されてことなきをえた(盛岡南部文書建武2年9月6日北畠顕家御教書)。当地の在所は葛巻村または中里村という。中里は近隣の葛巻町江苅にその地名を残す。南北朝期を過ぎて室町期に入る頃には,糠部郡全域において南部氏の支配が確立する。南門もまたその例外でありえなかった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7016193