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三迫
【さんのはさま】


旧国名:陸奥

(中世~近世)鎌倉期~江戸期に見える広域地名。栗原郡のうち。三迫(さんのはさま)川ならびにその本流迫川流域を指し,現在の栗原郡栗駒町・金成(かんなり)町・若柳(わかやなぎ)町さらに登米(とめ)郡石越(いしこし)町地域に比定される。「吾妻鏡」文治5年8月7日の条に「栗原,三迫,黒岩口,一野辺,若九郎大夫,余平六已下の郎従を以て大将軍となし数千の勇士を差(つかわ)し置く」とあり,同じ「吾妻鏡」の文治5年8月21日条には平泉攻めする源頼朝を防ぐために藤原泰衡は「栗原三迫等の要害」に郎従を配置したとある。平泉滅亡後,和田義盛の所領となったと思われ,建保元年5月の和田合戦の結果,和田一党の滅亡後は二階堂行光に与えられている(吾妻鏡,建保元年5月7日)。南北朝期も奥州官軍北畠顕信,葛西清貞と石塔義房との間に三迫の合戦と称される激戦が展開され,康永元年10月8日の石塔義房書状に「去る九月四日,奥方より此辺までのこるところなく凶徒等はせあつまり候て,三迫つくもはし,まいたの新山林,二迫のやはた,とや,以上五ケ所たてをつき侯」(鬼柳文書/宮城県史30)とあるのをはじめ,「相馬文書」「岡本文書」(宮城県史30)等に三迫の記事が散見する。近世に入り村落の組織も確定した段階について「封内名跡志」は「栗原郡,郷党一郡を五区に分つ」として「三の迫は高松の荘二十八村あり」とし,「奥羽観蹟聞老志」には岩崎・沼倉・松倉・中野・鳥沢・猿飛来(さつぴらい)・大原木・里谷・平形・深谷・藤渡戸(ふじわたど)・普賢堂・赤児(あかつご)・末野・片間合・小堤(おづつみ)・有壁・小迫(おばさま)・金成(かんなり)・有賀・御田鳥(みたどり)・武鎗(むやり)・石越・沢辺・大林・畑村・福岡・若柳・石崎(いわさき)の29か村を三迫というとしている。また「安永風土記」は三迫26か村としている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7017851