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朝日山地
【あさひさんち】


山形県と新潟県の県境一帯を占める隆起山地。朝日連峰ともいう。南の飯豊(いいで)山地とともに,越後山脈の北端に位置し,古生層を基盤とする古い山地。中心は主峰の大朝日岳(1,870m)から西朝日岳(1,814m)・竜門山(1,657m)・寒江山(1,695m)および以東岳(1,771m)へと続く主稜と,枝分かれした支尾根を含む南北60km・東西30kmに及ぶ山域である。頂上の高さがほぼそろった山々が連なっているが,隆起によって浸食が進んで平坦となった準平原化の作用によるものである。したがって尾根幅はかなり広く,起伏の少ないたんたんとした尾根筋がつづく。尾根上の砂礫地には,昼夜の温度差で土の中の水が凍ったり融けたりを繰りかえすことによって形成される石の縞模様(周氷河地形)など,高山特有の現象が見られる。一方隆起に伴って,雨と雪が山をえぐり谷を刻んだので,谷は深くけわしい。日本海岸からわずか40kmの距離でほぼ南北に走る山地という立地から日本有数の豪雪地帯となっている。雪は冬季の季節風の影響で偏東積雪現象がみられ,山稜の東側を削り取り非対称山稜の地形を形成している。主稜線上の高山植物の大群落とともに,山麓から山腹にかけてのブナの原生林はこの山地を特色づけるものの1つであり,この原生林がツキノワグマ・カモシカなどの大型野生動物の生息を可能にしてきた。朝日岳の開山は,農民の信仰と領主の治政の両者に,修験者と木地師とマタギの存在が混じり合っている。中世には信仰の山として繁栄し,登山口には坊や神社が多かった。しかし後に,鎌倉幕府によって弾圧閉鎖されたとも,修験道各派の勢力争いに敗れて消滅したともいわれている。現在朝日山地で神社や祠など宗教の名残をとどめるものは,鳥原山の朝日岳神社と,昭和30年に大朝日岳小屋に分祀されたもの,祝瓶山の祈祷壇跡のみである。慶長3年山地主稜に大規模な軍用道路が開かれていた。上杉景勝が越後から会津へ移封した際,重臣直江山城守兼続は米沢城主として米沢と庄内とを領有し,出羽の最上義光と境を接することとなった。この時本拠地米沢と山地で隔絶された庄内とを結ぶ交通路として軍道をつくったという。起点の長井から草岡(現長井市)・葉山・御影森山・平岩山・大朝日岳・竜門山・以東岳・戸立山・茶畑山・芝倉山・高安山を経て鱒淵(現東田川郡朝日村)に抜けるもので,現在幻の軍道として名をとどめている。山地がスポーツアルピニズムとして脚光を浴びるようになるのは大正期に入ってからである。そして,明治期以来少しずつ開かれていた登山道が,昭和25年磐梯朝日(ばんだいあさひ)国立公園の指定を受けてから急速に開かれ整備された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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