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庄内砂丘
【しょうないさきゅう】


県北西部,庄内平野西部海岸地帯に広がる日本海側有数の大砂丘。南の加茂(かも)台地から北の鳥海山麓まで約35km,鶴岡市・酒田市・飽海(あくみ)郡遊佐(ゆざ)町の2市1町にまたがる。面積約5,548ha,幅は南部約3km,北部約2km。標高は中央部で約64m,加茂台地北端部では100mを超える。日本の砂丘の中でも最高度のものに属し,基盤岩のないところで60mを超えるのは珍しい。黒色砂層で固定された古砂丘上に形成されたものと考えられる。砂丘は傾斜角が西の風上側で5~6°,東は16~22°,およそ海岸線に平行して北20°東に延びる3列の砂丘脈からなっている。砂丘北端から南端まで連続する東部砂丘は,最も高く,幅も広く,面積は最大であるが,中央部でやや低くなっている。中部砂丘は高度は東部砂丘に次ぐが,分布は狭く,中央部の最上川河口付近にみられるほかは明瞭ではない。西部砂丘は最も低く,人工の防風林によって形成されたものである。このほか西端の海岸沿いには,近世以来飛砂防止のための植林や堆砂垣の設置によって現在では新しい砂堆が形成されている。砂丘の標高4~5mの位置には,地盤隆起を示す泥炭層が発見されているが,その分布が古砂丘の内側に限られていることから,隆起運動が古砂丘形成期以降に行われたと推測される。また地形的な形成過程は,南北両端に残る5m以下の第三紀層山地を基盤として両側から砂州が延び,かつての庄内平野一帯は潟湖(入江)であったと考えられる。のち冬季季節風の卓越した時期に古砂丘が形成されて,背後の潟湖(入江)を湿地化した。続く湿潤期に古砂丘が固定し,表面に腐植層が形成されて湿地に泥炭が堆積した。さらに乾燥期に中央・東部の砂丘が形成され,浸食砂丘の形成期である後半に西部の砂丘がつくられた(県史本編1)。飛砂による災害を防ぐための植林は,川北(最上川右岸一帯)では主に宝永年間佐藤藤右衛門が藤崎付近(現遊佐(ゆざ)町)に,宝暦年間に本間光丘が西浜に,安永年間に曽根原六蔵・尾形庄蔵らが吹浦(ふくら)海岸に行い,川南(最上川左岸一帯)では宝暦年間に坂野辺新田村の佐藤太郎右衛門らが坂野辺新田村や黒森村などに行った。砂防林の造成によって砂丘以東への砂塵の害は防がれ,日本有数の穀倉地帯である庄内平野の開発が進んだのである。斎藤茂吉は,本間光丘の開発をしのんで「海岸につづく黒松の砂防林‘光が丘’の名をぞとどむる」と詠んでいる。砂丘地帯では昭和42年以降ビニール水田が造成されたが,現在では砂丘に適したメロン・スイカ・イチゴ・大根・チューリップ・タバコ・モモ・庄内柿などが栽培されている。また砂丘地帯への工場進出が酒田北部にみられ,酒田南部では宅地化が進んでいる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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