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葉山
【はやま】


出羽山地上に,月山とともに噴出した火山。最上郡大蔵村・村山市・寒河江(さがえ)市にまたがる。標高1,462m。頂上に葉山神社があり,山頂と古御室山を結ぶ弧状の稜線から北東に馬蹄形の一大爆裂火口を有し,その底から富並川が発している。名称の由来は,奥の山に対して里近い山,端(はし)の山,山の端の意にちなむという。起源は明らかでないが古く修験の山として信仰を集めた。「三代実録」貞観12年8月28日に「出羽国白磐神・須波神並従五位下」とある白磐神を葉山地主権現に比定する説がある。初見は慈恩寺舞童帳(慈恩寺本堂文書/県史15上)の永正11年条で,「林泉坊葉山,橋本坊葉山」とある。この舞童帳から葉山の坊を拾いあげるとほかに長勝坊・金輪坊・大乗坊・田沢坊・河口坊(川口坊)などがある。なお舞童帳は永正11年~大正11年まで書き続けられた慈恩寺弥勒堂に舞楽奉納をするさいの費用負担を記録したものである。葉山別当大円院は「医王山金剛日寺年要記」によると,最上氏の崇敬をうけ,承応元年以後は新庄藩戸沢氏の祈願所として領民の信仰を集めたという。慶安2年には幕府から5石6斗の朱印地を与えられた。安永5年10月分限御改帳(三宝岡風立寺所蔵,葉山文書)には「御朱印高五石六斗 此取米九俵壱斗但シ三斗入 但シ葉山地主権現社領 一,田弐反八畝歩」とあり,同時に境内山林東西1里・南北3里余も御朱印と記載。葉山権現社領5石6斗は吉川村(現西村山郡西川町)にあった。宝暦10年6月葉山宗旨寺内証(今田信一氏採訪文書)には別当大円院の下に川口坊・鳥居崎坊・萱野坊・聖坊・橋本坊・善蔵坊・掛作坊(砂作坊)・円乗坊・林泉坊・桜沢坊・田沢坊・大乗坊の12坊が天台宗門として記載。下って安永5年の分限御改帳(三宝岡風立寺所蔵,葉山文書)には河口坊・鳥居崎坊・橋本坊・萱野坊・善蔵坊・聖野坊の6か坊が葉山権現への参詣導者の宿坊をしながら寺院として存続していることが記されている。葉山は古く出羽三山の1つに数えられていた時代があり,また天正の頃まで慈恩寺の奥の院と称されていたとの記録もあるが不明。第2次大戦後,大高根地区(現村山市)が米軍の射撃場になり,別当大円院が着弾地の危険区域に入ったため,葉山入山禁止命令により昭和30年村山市大字岩野へ解体縮小移転された。参道としては,仁田沢道・嶽道・大平峰筋下り・西小禿嶺筋などが記録されているが(古縁起校定),現在は不明。今日では参詣者も絶えてしまったが,石の大黒様が祀られ,石を積めばお金もつもるという素朴な信仰が残っている。また大円院は,虫除け・五穀豊穣の守り神として近郷近在の信仰を集めている。山麓はブナの原生林に覆われ,山頂付近には県天然記念物となっているトガクシショウマをはじめ多くの高山植物の群落がみられる。山形盆地からは春から初夏にかけて月山とともに残雪の美しい山が望まれ,人々に親しまれている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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