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安達太良山
【あだたらやま】


二本松市・安達郡大玉村・郡山市・耶麻(やま)郡猪苗代町にまたがる山。磐梯朝日国立公園に含まれる安達太良連峰の主峰,およびその連峰の呼称。標高1,699.6m。安達太良連峰は那須火山帯に属する火山群で,北から鬼面(きめん)山(1,481.6m)・箕輪(みのわ)山(1,718.5m)・鉄山(1,709.3m)・安達太良山・和尚(おしよう)山(1,601.7m)と並ぶ火山の総称。特に安達太良山(連峰)は活動的な重要火山として,気象庁により継続観測されている。この火山群の活動は洪積世末頃より始まり,最初に箕輪山・鉄山・和尚山ができ,噴出した溶岩が勢至平(せいしだいら)・僧悟台(そうごだい)・赤木平(あかぎだいら)の溶岩台地をつくった。次に鬼面山・安達太良山が噴出して現在に近い山体が完成した。沖積世になってから岳温泉の湯元付近を中心とする鉄山火口と安達太良山北西部の沼ノ平火口が形成された。沼ノ平火口は江戸期まで湖水であったが,慶長・正保と何回かにわたって決壊し,現在のように砂原となった。大同年間・天文年間・文化9年などに活動したことが口碑や記録に残っているが,特筆すべき活動は明治33年の噴火である。明治32年に沼ノ平火口底で小爆発があり,火山灰と硫黄泥を噴出したが,明治33年には大規模なガス爆発を3回繰り返し,長径300m・短径150m・深さ40mほどの火口をつくった。沼ノ平火口底にあった硫黄精練所の6棟の建造物はすべて破壊され,事務員・作業員80名中生存者は3名にすぎなかった。沼ノ平の新火口はその後崖錐性堆積物や流水の運ぶ土砂により埋没し,現在では見分けることができない。洪積世末期以降形成された僧悟台・勢至平・五葉松平・仙女平・赤木平などの溶岩台地を下刻する河川は幾つもの滝や峡谷をつくっている。安達太良連峰内には10以上もの滝が知られているが,沼尻川の白糸の滝,石筵川の銚子ケ滝がよく知られている。標高もさほど高くなく山容もおだやかなので,女性や子供・老人でも簡単に登れるが,山頂付近は一木一草もない荒々しい高山の様相をみせ,天候の激変によりしばしば遭難者をだしている。「万葉集」の東北地方の歌8首中3首が安達太良を詠んだもので,「安太多良の嶺に臥す」が初出である。奈良期より安太多良の嶺(安達太良山)という呼び名があったことは,この地名の成立が非常に古く,また江戸期の地誌では「安達郡の最高峯すなわち太郎である」「アイヌ語の乳はアタタという」「ふいごのタタラ」であるなどと各種の由来が説かれたが真意は不明。別名は岳山(相生集・積達大概録)・二本松岳(松藩捜古・家世実紀),会津側で東(あずま)岳(新編会津)・沼尻山・硫黄山,主峰は乳首(ちちくび)山の別称でも親しまれている。「日本紀略」寛平9年の4座,「延喜式」神名帳安積郡3座のうち2座はともに安達太良山に鎮座する神であり(県史),古くから神のやどる霊山として信仰を集めていたことが知られる。現在安達郡本宮町に鎮座する安達太良神社は「延喜式」の宇名古呂和気(うなころわけ)神社にあてられている。また山岳仏教のうえから,吾妻修験道に関連して岳山駈(だけやまが)けが知られており,梵字石・勢至平・薬師岳・弥陀ケ原・僧悟台などの地名が残っている。大玉村大字玉井の相応寺,安達郡安達町渋川の円東寺はともに山号を安達太良山といい,安達太良山中に旧寺域をもつと縁起に書かれており,岳山駈けの相応寺口および円東寺口を支配していたといわれる。しかし修験道を証する文書は発見されていない。古来会津領と二本松領の境界にあり,温泉利用と硫黄採掘にからんで何度か論争が行われた(新編会津・家世実紀)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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