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木幡山
【こわたやま】


安達郡東和町と伊達郡川俣町との境にある山。標高666m。建武2年の武石胤顕軍勢催促状(飯野文書)に「安達郡木幡山」とあるのが初見。寛永14年の山禁制状(松藩捜古)や木幡山内にある天明6年の凶作碑には「御山」と書かれている。木幡山治陸寺(じろくじ)縁起によると康平6年に「山を木幡と名づけ」とあるが命名の由来は口碑の域をでない。しかし古くから天台密教系の修験者によって開かれたことは確実で,山頂付近には蔵王(ざおう)経塚群があり,昭和53年に6基の経塚遺構が確認された。この経塚出土と伝えられる石製外筒・銅製経筒・経巻残塊が奈良国立博物館に寄託されている。古くから杉が植えられており,中腹にある木幡の大杉は樹齢700年とも800年ともいわれ国の天然記念物に指定されている。中腹には式内社と伝える隠津島神社があり,山麓には修験系の治陸寺がある。ただし旧藩時代の治陸寺は明治の神仏分離令により廃寺となり,現在の治陸寺は旧名松本坊が大正6年に治陸寺の名称を継いだもの。隠津島神社三重塔および治陸寺本尊の木造阿弥陀如来坐像は県の重要文化財に指定されている。前九年の役に際し源義家が賊徒退治を祈願したところ,木幡山の杉に雪が積もり幡のように見えたので安倍一族は戦わずして退散したとの伝説がある。旧暦11月18日(現在12月の第1日曜日)に羽山ごもりおよび幡(旗)祭りという民俗行事が行われている。この行事は両部神道であった弁才天宮(現隠津島神社)や治陸寺の歴史とともに歩んできたと思われる。羽山ごもりは東北日本に多い羽山信仰と結びついたもので,成人式的色彩も強く残存しており,また神仏混交の名残もみられる。幡(旗)祭りは前述の源義家伝説と弁才天信仰が結合したものと思われる。2つの異質な民俗行事がかなり早い時期に同一期日に実施されるようになったと考えられるが,古い記録が残っていないので断定はできない。木幡山は昭和30年に全山が県の名勝天然記念物に指定された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7031027