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標葉荘
【しめはのしょう】


旧国名:陸奥

(中世)南北朝期から見える荘名。建武3年3月28日の相馬光胤軍忠状(相馬文書/県史7)に「標葉庄為対治合戦次第(今日廿七日)」と見え,同年3月日の相馬長胤軍忠状(相馬岡田雑文書/県史7),暦応2年3月日の相馬胤頼軍忠状(相馬文書/県史7)にも同日のことが見え,相馬光胤が大泉平九郎らとともに標葉持隆の請戸城を攻めている。建武4年5月日の某軍忠状(同前),同年8月日の相馬朝胤軍忠状(大悲山文書/県史7)に「標葉庄小丸城口羽尾原合戦」と見え,北朝方の石塔蔵人が来攻し,標葉氏と合戦に及んだ。康永3年5月13日の相馬親胤打渡状(飯野文書/県史7)に「陸奥国標葉庄内落合村」と見え,当荘内の落合村を飯野八幡宮神領として打ち渡している。永享2年5月4日の成徳寺鐘銘(地名辞書)に「奥州東皆道,標葉庄」と見える。標葉荘は鎌倉期から室町期にかけて使用された地域名で,標葉郡の別称と推定される。→標葉郡(しねはぐん)




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7031322