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対面原
【たいめんはら】


郡山市の中心市街地から北北西へ約7.5km,同市喜久田および日和田地内に広がる台地の面。東西7km,南北2kmの台地。標高250~280m。天正13年伊達政宗が青田原に,佐竹・相馬がこの地に本陣を構えて対陣したので,対面原の地名になったといわれる。かつてこの対面原は一面の原野であった。政府の安積(あさか)開拓事業によって明治12年以降,東部の早稲沢北方に旧久留米藩士が100戸,中央部の堀之内に旧二本松藩士が10戸,その西隣に旧棚倉藩士が25戸,そして西部の安子ケ島に旧岡山藩士が10戸,合計145戸の旧士族が移住し開墾に従事した。しかし生活は苦しく,明治末期には大半が小作人にかわるか離農した。現在,いまだ都市化の影響は少なく,水田が目立つ。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7031965