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石名坂
【いしなざか】


日立市大和田町・石名坂町にある坂。国道6号が通る。太平洋に面して関東平野北端が阿武隈高地南端に接する段丘崖に位置する。古代から陸奥への官道などが通過し,江戸期には岩城相馬街道(浜街道)が通り,「新編常陸」には「石那坂……旧誌云,在久慈郡金沢山麓,坂上至坂下二三里,路甚嶮狭,僅容両馬,所謂一夫守険,万夫不能過之地也」とあり,「水府志料」には「十八道坂 坂長九拾六間。古来石那坂と書す。水戸義公命じて,十八道の字用ひらる。按ずるに,森山より磯原迄,片浜十八ケ村への往還,此坂の外に道ある事なし。故に名付られし歟。此坂より北にある村々,これを坂上郷と称す」とある。幕末,天狗党の乱の際,元治元年8月23日水戸城へ赴いた助川海防城主山野辺義芸が諸生党と戦ったのち軍を整えるために引き返したが,石名坂に立籠る諸生派農民軍と衝突,これを撃破した史跡でもある。なお,江戸期には田中内(日立市大和田町)を経て茂宮川を渡って「水府志料」に「岩城街道駅所なり」と見える大橋(日立市大和田町)を通り,坂下(日立市石名坂町)から段丘崖を上って中位の段丘面にある石名坂の宿に達する急坂(旧道)であった。この坂は急勾配であったため,明治25年頃,南方の段丘を刻む小谷(日立市石名坂町と南高野町の境)を利用する迂回路(新道)を通して,石名坂宿の東端で旧道に合するようにして勾配を緩めた。この新道は当時第15号国道と呼ばれた。新旧道の合流地点には昭和3年に石名坂馬車組合が馬の供養のためにたてた馬力神がある。自動車時代に入ると,屈曲する狭い迂回路は自動車の大量交通に対応できなくなり,田中内・大橋・石名坂の宿を避けて,久慈川の低地から旧道とは立体交差させて,阿武隈山地南端の段丘面に達する道路を昭和37年に完成させた。これが現在の石名坂で,付近には工事中の常磐自動車道日立南インターチェンジ,久慈鉄工団地,日立製作所日立研究所や太平洋を臨む石名坂・南高野・曲松などの大きな住宅団地がつくられ,都市化が進んでいる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7035433