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大能野駒山
【おおののこまやま】


大能牧(おおののまき)ともいう。江戸期に現在の高萩市北西部の山間に水戸藩が設けた牧場。徳川光圀が大能村大谷地の3里四方を野駒山とし,下総国小金・佐倉両所の馬を移したことに始まるが(多賀郡史),開設の時期は延宝6年とも寛文7年ともいい,放馬の元馬数に関しても12疋・13疋・130疋等々と諸説がある(高萩市史)。以後元禄元年までに62疋が放馬された。管理には郡奉行があたり,このもとで3人の郷士が人足などを管理し,野駒山には2人の野駒番人が置かれた。放馬後野駒は増殖を続け,宝永5年4月には176疋,享保15年頃250余疋,延享年間には540疋を数えた。一方,最初の捕馬は延宝8年で,同年から宝永5年までの29年間に302疋が捕獲され,うち31疋が御厨入り,271疋が払い下げられた(同前)。払下げによる利益が上がり,藩の経済政策としての牧馬は成果をあげたが,野駒山周辺の農民は牧馬により多くの犠牲を払った。周辺の農村の疲弊とともに野駒の飼育は困難を極め,天明7年の大凶作を機に水戸藩は野駒山の休山にふみきり,同年10月74疋,翌年3月23疋を捕獲して休山となった。享保年間には7,940間にまで及んだ野駒除けの土手の跡が山間に今も残る。こののち天保年間に徳川斉昭が再興を図り,斉昭の死後放牧を再開したが,明治2年に廃止。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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