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幸嶋荘
【さしまのしょう】


旧国名:下総

(中世)室町期~戦国期に見える荘名。下総国のうち。古代の猨嶋郡は中世に入り上幸嶋・下幸嶋に二分される。このうち下幸嶋は荘園として立荘されるが,上幸嶋は荘園となった形跡はなく,上幸嶋・下幸嶋を合わせて,幸嶋郡一帯を汎称したものと思われる。応永31年5月晦日の上野(こうずけ)守護上杉憲実寄進状に「上野国岡本郷内・下総国幸嶋庄弓田郷内田畠在家等事」と見え,荘内弓田郷の田畠在家などが上野国長野郷内東荒浪村の替地として鶴岡八幡宮に寄進されている(神田孝平氏旧蔵文書/神奈川県史)。天文22年12月11日の足利義氏朱印状写に「幸嶋荘閏年郷役之事,若林・仁礼両郷被相除不可有相違之状如件」と見え,田代三喜斎の知行地である若林・仁礼両郷が当荘の閏年の郷役を免除されている(家蔵文書/古河市史)。戦国期にはほぼ古河公方足利氏の支配下にあったと考えられ,永禄11年と推定される2月18日の足利義氏過所によれば,勝願寺が「幸嶋荘古河太田筋」の過所を与えられ(勝願寺文書/古河市史),同年5月21日には足利義氏が渋垂筑前守に「幸嶋荘之内駒羽郷」を充行っている(楓軒文書纂/古河市史)。天正18年9月20日山川晴重は豊臣秀吉から「幸嶋郷之内」で8か所,144貫の地を安堵された(越前山川文書/結城市史)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7037297