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筑波研究学園都市
【つくばけんきゅうがくえんとし】


筑波山南麓の洪積台地上に建設されたわが国唯一の研究学園都市。昭和30年代以降の高度経済成長に伴う土地難・住宅難・交通難・公害などの都市問題から都市機能が低下した東京を離れて,研究・教育機関を移転させる頭脳都市の建設が計画された。同36年4月第1回首都改造懇談会で,学園都市構想が出され,同年9月には,東京への人口の過度集中を防ぐため,機能上必ずしも東京に置くことを要しない官庁の集団移転を検討する閣議決定がなされた。同37年7月には,国立試験研究機関を刷新充実するための方策について,科学技術会議から試験研究の効果的な推進のため過大都市を離れた地域に国立試験研究機関を集中的に移転させる必要があるという答申が出された。同年12月に官庁移転計画の具体化が閣議了解され,同37~38年に富士南麓・赤城山麓・那須高原・筑波山麓などの候補地の選定調査が行われた。この間,工業技術院・農林省関係機関が筑波現地調査を実施。同38年8月には茨城県や関係町村が誘致運動を行い,首都圏整備委員会からは計画区域3,900ha,人口16万人の研究学園都市構想が出されている。同年9月首都圏基本問題懇談会から研究学園都市建設構想が提案され,同月の閣議で官庁都市を研究学園都市とし,建設地は筑波地区,面積は約4,000ha,用地の取得造成は日本住宅公団(現住宅・都市整備公団)と決定。これを受けて首都圏整備委員会は研究学園都市建設構想を地元関係機関に提示し,その後,県と関係省庁の間で若干修正された。なお,県は計画区域を3,000haにするよう要望,同39年3月に研究学園都市建設計画を正式に受託する旨回答。首都圏整備委員会では各省と協議の結果作成した移転予定機関の配置計画案をもとに同年10月に計画区域3,300ha,買収面積1,900ha(580万坪)・人口16万人と当初よりやや計画を縮小した形で決定。昭和40年度予算として用地買収費58億円(1,900ha分)が改めて計上された。同39年12月の閣議で同40年に着工,工期は10年,推進調整機関として研究学園都市建設推進本部を総理府に設置する旨口頭了解がなされた。このあと新都市のマスタープランを都市計画学会に委託し,また日本住宅公団と県・地元6か町村の間で土地取得覚書調印(地目別買収価格と町村別買収契約面積)と土地取得事務委託契約が結ばれた。同41年12月用地買収が開始,事業は実質的に着手の段階に入った。建設は国・地方公共団体および都市建設の事業主体の総合的体制のもとに推進されている。計画調整は研究学園都市建設推進本部のもとに国土庁を中心に国の関係行政機関や県・地元関係6町村で行われ,事業実施は日本住宅公団(住宅・都市整備公団),大蔵・建設・文部・郵政各省,県,関係町村,筑南地方広域行政事務組合(消防,ゴミ処理など),筑南水道企業団,筑波新都市開発(第三セクター),日本電信電話公社,東京電力,筑波学園ガス,事業団,民間研究所などの手で進められている。都心の東北約60km,筑波山と霞ケ浦を控えた自然に恵まれ,関東ローム層に覆われた常総台地上に立地する。区域はつくば市・茎崎町,総面積約2万8,560ha。このうち研究教育機関を建設し,さらに公共公益的施設および住宅などを整備する都市中枢の地域を研究学園地区という。面積2,700ha,東西約6km・南北約18kmの細長い土地で,同地区内に予定された1,803haの用地買収は昭和48年10月に完了。同地区の開発事業方式は①一団地の官公庁施設事業などとして国立試験教育機関の用地整備と関連道路(面積約1,510ha)などの造成,②新住宅市街地開発事業として住宅市街地の造成,花室(約142ha,中心市街地)・大角豆(ささぎ)(約70ha)・手代木(てしろぎ)(約48ha)の3地区,③土地区画整備事業として一般市街地(面積約100ha)の整備,④都市計画公園(面積約30ha)事業の4事業が施行された。南北に長い研究学園地区は花室地区の商住混合地(業務を含む)と公益施設(行政・福祉・供給施設など)をコアエリアとして,周辺に向かってほぼ計画住宅地(公務員・公営住宅),民間住宅地,学校教育福祉施設の順に配置され,それらの南北には広大な研究教育施設が外周部を構成し,各施設の間には公園・緑地が散在する。大角豆・手代木地区にも商住混合地・公益施設があり,副次的なコアエリアを形成。各機能地域を結ぶ道路網が整備されている。研究学園地区2,696ha(100%)の土地利用を用途別にまとめて面積および比率をみると,住宅地704ha・21.1%(商住混合地1.3%・計画住宅地0.8%・民間住宅地19.0%),公益施設84ha・3.1%(行政施設等0.5%・教育施設2.3%・福祉施設0.1%・供給処理施設0.2%),公共用地456ha・16.9%(道路・駐車場13.1%,公園・緑地等3.7%,水路等0.1%)。研究教育施設は1,452haで全体の53.9%と半分以上を占める。研究学園地区の外側に広がる周辺開発地区はほとんど農業地域で,研究学園地区が各町村の境界領域にあたる平地林地域であったのに対して,古くから集落・耕地がみられたが,今では都市開発の影響を受ける周辺地域となった。そこで自然環境の保全に配慮しながら都市近郊型農業を振興し,研究学園都市にふさわしい研究教育機関・工業などの導入を図った。つくば市中央部(旧豊里町東部地区)において89haの土地区画整備事業が進められ,24の民間機関の立地が予定されている。旧筑波町北西部地区(72ha)で工業技術院第二研究センターの建設が行われている。昭和57年3月,研究教育機関などは予定された国などの45機関がすべて移転(新設)を完了し,業務を開始している。人口は昭和57年1月現在6町村全域で約13万3,000人,うち研究学園地区は約3万人であるが,人口計画では将来研究学園地区約10万人,周辺開発地区を含めると約20万人を予定。現在までに,研究教育機関をはじめ,基幹的な都市施設はほぼ完成したが,人口の定着は不十分で,都市熟成の促進などは課題として残る。なお筑波研究学園都市を会場に昭和60年3月17日~9月16日に国際科学技術博覧会(科学万博―つくば'85)が開催された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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