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筑波山
【つくばさん】


旧国名:常陸

県のほぼ中央部,関東平野の東部に位置する山。筑波山塊西列山地の主峰。つくば市・真壁郡真壁町の境界をなし,水郷筑波国定公園に含まれる。山名は筑波郡の北に位置することにちなむという(新編常陸)。「筑波」の地名由来については,「風土記」筑波郡条に当地に国造として赴任した筑箪命が,自分の名にちなんで筑波と名付けたと見えるほか,古来諸説がある。山頂は断層によって男体(約870m)・女体(875.9m)の2峰に分かれ,その間に御幸原(みゆきがはら)という小平坦地がある。「後撰和歌集」の「筑波ねの峯より落つるみなの川恋ぞ積もりて淵となりける」にある男女(みなの)川(水無川)はここに源を発し,桜川に合流して霞ケ浦に注ぐ。山頂の奇観は,花崗岩が硬い斑れい岩を閉じこめて隆起し,浸食によって露出した残丘といわれ,斑れい岩の岩塊が積み重なりいろいろ名がつけられている。山腹は風化した岩屑で覆われている。植物は,山全体が神域として保護されてきたため自然林が残っており,明確な垂直分布を示す。筑波山のシンボルとなっているホシザキユキノシタやツクバウグイスカグラなどの珍しい植物も多く,自然観察を兼ねたハイキングには最適の地とされている。山腹では気温の逆転現象を利用するミカンなどの栽培が行われている。山の周囲には視界を遮るものがなく,頂上からは関東平野が一望に見渡せ,東に太平洋,西に富士山,南に霞ケ浦,北に日光・那須の連山を見ることもできる。また江戸期に結城に滞在した与謝蕪村が「ゆく春やむらさきけむる筑波山」と詠んでいるように,千変万化する色彩の中でも紫色は筑波山の代名詞となっている。
(古代)「古事記」巻中景行天皇条および「日本書紀」景行天皇40年是歳条に,倭建命(日本武尊)が蝦夷平定の帰途,甲斐国酒折宮(現山梨県甲府市)で侍者たちに「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」と尋ねたところ,御火焼之老人(秉燭者)が「日日並べて 夜には九夜 日には十日を」と答えたので,東国造を賜わったという説話が見える。
(中世)治承3年5月の常陸国総社造営注文案に「忌殿一宇五間〈萱葺〉筑波社」,文保2年5月4日の小田貞宗請文に「筑波社三村郷分,全無造営之例候」と見え(常陸国総社宮文書/県史料中世Ⅰ),総社造営料が小田氏が地頭である筑波社領に課せられているが,これは翌3年の常陸国総社造営役所地頭等請文目録に「一通 筑波社三村郷地頭小田常陸前司□□(請文カ)」とあるのに対応し,鎌倉期の筑波社領地頭が小田貞宗で,当山は小田氏の支配下におかれている。
(近世)江戸期に入ると,当山が江戸城の鬼門にあたることから,知足院が幕府の祈願所となり,幕府の外護を得て隆盛をきわめた。
(近代)明治維新後の神仏分離・排仏毀釈により,知足院の建物・仏具などは破却され,跡地には新たに拝殿が造られ,筑波山神社として再興されて明治6年に県社に列した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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