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戦場ケ原
【せんじょうがはら】


古くは閼伽沼原ともいった。日光市の男体山の西にある乾燥湿原。高度約1,400m,面積約9km(^2)。男体山の火山活動に伴う竜頭溶岩が湯川をせき止めてつくった湖が,周辺山地からの土砂の堆積によって陸地化したもので,赤沼はこの湖の名残である。大昔,男体山の大蛇と群馬県の赤城山のムカデがここで領地争いをし,大蛇が放った矢がムカデに命中して男体山が勝ったという伝説があり,その戦いの場であったところから戦場ケ原の名がついたといわれ,その時流れた血が溜った所が赤沼だという。中央部を南北に通る国道120号の東側を東原・東戦場,西側は中央部の小高い糖塚から北方を北原・北戦場,南方を南原・南戦場と分けられる。宇都宮大学実習地でのボーリングによれば,基盤は花崗岩類でその上に角礫凝灰岩が26m,その上に軽石流堆積物である凝灰質石英安山岩が47m,表土が5mであった。昭和44年の調査によれば,少なくとも1.5mまでは泥炭層があり花粉分析の結果から1,500~3,700年前から高層湿原が存続してきた。周辺山地からの土砂の流入によって乾燥化が進んでいるが,昭和初期,湿原内ヘカラマツを植林するため排水溝を掘ったことや,国道120号の側溝が乾燥化のスピードを早めたと指摘されている。原の西部を流れる湯川は高山丘陵の鞍部を流れ出,竜頭滝となって中禅寺湖に至る。第2次大戦後,東戦場の北部に開拓団が入植し,高原野菜などの生産を行っている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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