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袖ケ浦
【そでがうら】


袖師(そでし)が浦ともいう。東京湾北東岸の浦安市から富津(ふつつ)市沿岸の古称。江戸期には内湾を指す呼称として用いられた。宝永年間の「国府台合戦物語」に「行徳船橋見渡せば,袖しが浦の立つ波と嘆きの声は変りなし」とあり,さらに「葛飾記」「葛飾誌略」では葛飾浦の別名である真間(まま)の入江と同義とし,いずれも幕府行徳領(市川市・浦安市)と船橋の海岸を指している。「下総名勝図絵」には「登戸(のぶと)の浜,此のあたりを総て袖しが浦といふなり」とあり,「千葉実録」には「寒川や袖しが浦に立つ煙君を待橋身にぞしらるる」とあって,それぞれ千葉市の登戸・寒川の海岸を指している。文化8年の松平定信の「狗日記」には,船橋から市原市五井に向かう記述に袖師が浦と見える。さらに天保12年君津市三直(みのう)の八雲神社に奉納された絵馬の風景画に富津岬・木更津海岸が描かれ,「涼しさや袖ケ浦路のなみの音」という句が書き添えてあり,木更津海岸も依然として袖ケ浦と呼ばれていたことが知られる。名の由来には別説があって,「葛飾記」は「此浦の景色,袖の形に似たりとして,連俳の雅客名付けしと也」と記し,さらに同記は浦の様子を,富士山が間近に見え,房総の山々は霞の外に現れ,沖津雁が遠く聞こえる景色のよさや,漁舟が行き交いにぎわう様子を伝えている。習志野市袖ケ浦と袖ケ浦市はこの古称から付けられた名である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7055344