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浅茅が原
【あさじがはら】


現在の橋場1~2丁目付近にあった原野。江戸期,白鬚(しらひげ)橋近くの総泉寺門前一帯のものさびしいところで,中世にはここを奥州街道が浅草から橋場にかけて通っていたという。「廻国雑記」に道興准后の浅茅原にてよめる「人めさへかれて淋しき夕まぐれあさぢ原の霜をわけつゝ」の歌があるが,このような状態は江戸初期頃までであったか。井原西鶴の「浮世栄花一代男」にも「浅茅が原にさざれ水はありながら,手水をむすべる人のならわせもなくて,朝暮の身持もむげにいやしかりき」と見える。浅茅が原には,明治18年頃埋め立てられた鏡ケ池,梅若伝説で知られる梅若丸の母親妙亀尼の墓といわれる妙亀塚(妙亀塚公園・橋場1丁目)や,袈裟懸松・采女(うねめ)塚・蛇塚などがあった(江戸名所・備考・浅草区誌)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7058220