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葛西荘
【かさいのしょう】


旧国名:下総,武蔵

(中世)室町期に見える荘名。伊勢神宮領下総国葛西御厨(かさいのみくりや)の室町時代以後の別称。応永33年1月11日の興津家定寄進状(浄光寺文書/神奈川県史資料編3)に「葛西庄上木毛河郷内薬師堂別当職」と見え,また同年6月13日の関東管領浄光寺別当職補任状(相承院文書/神奈川県史資料編3上)には「葛西御厨上木毛河郷内薬師堂 号浄光寺 別当職」とあるから,御厨も荘も収取機構としてのものではなく,地域名称となっていたことがうかがえる。永正7年,連歌師宗長は「すみだ川の河舟にて,下総国葛西の荘の河内を半日計よしあしをしのぐおりしも,霜枯の難波の浦にかよいて,かくれて住みし里々見えたり,おしかも,都鳥堀江こぐここちして,今井という津よりおりて,浄土門浄興寺にて,むかえ馬人待」(東路の津登)と,荘内の風景を記している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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