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明石ケ谷
【あかしがやつ】


鎌倉市十二所の光触寺の南隣,滑川をはさんで大慈寺跡の向かいにある谷名。背後に明石山・柏原山・羽黒山をひかえ,逗子(ずし)市と接している。南北朝期から見える。「鶴岡社務記録」によると,文和2年5月22日条には明石谷法印が修法を始行したことが,同8月10日条には「自明石谷桜壺ニ移植之」と当地の桜を移植している(神道大系)。「鎌倉志」等によると,明石谷には一心院という寺があり,明石の一心院と俗称されていたらしい。明石谷法印というのも一心院の住僧を指すものであろう。「鎌倉年中行事」によると,一心院住持は足利成氏の護持僧となっている。「新編相模」には,十二所村の小名として明石ケ谷があり,この谷の中ほどに明石検校塔があったと伝えている。天正3年に成立した「桂林集」には「相州三浦郡池子里にしるよしして行けるに明石といふ所にて十五夜の月くもりければ」として「かき曇月も詠るかひそなき こよひ明石のとまりなれとも」と詠んでいる(群書15)。また,慶長5年正月吉日の建長寺寺領水帳には,十二所村の耕作地の中に「あかし」「あかし口」が散見しており,当地内に建長寺領があったことが知られる(相文)。谷間に湧出し滑川に注ぐ川を明石川,あるいは明石堀といい,谷の入口,滑川に架かる橋を明石橋という。現在,鎌倉と金沢を結ぶ道が金沢方面・逗子方面にわかれる分岐点の橋を明石橋と呼んでいるが,ふるくはもっと上流にあったようである。地名の由来は明確ではないが,おそらく名勝の地兵庫県明石を模して名付けられたのであろう。今は宅地造成等により谷の面影は損なわれている。なお,現在鎌倉市十二所の小字に明石・明石谷が残っている。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7065505