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葛西ケ谷
【かさいがやつ】


鎌倉市小町,宝戒寺の脇を東に入ったあたり,東勝寺のあった谷名。源頼朝の重臣葛西清重の所領があったことから名付けられたといわれる(新編相模)。この谷一円は東勝寺の境内であったらしい。文献上の初見は「吾妻鏡」承久3年5月19日条で,北条義時追討の宣旨を持った朝廷の使者押松丸が葛西ケ谷で捕えられている。谷の入口には厩があったようで,同書建長3年2月20日条には厩の後山が崩れて死者を出したことが見える。前に滑川,後に屏風山・小富士山を配するこの谷は北条氏の城塞といった性格があったようである。鎌倉幕府滅亡の際,北条高時はここを拠点に戦い,一族郎党ともども東勝寺で自害した(太平記)。この合戦は「葛西谷之合戦」ともいわれ(天野文書/県史資2-3139),現在谷奥に高時らが切腹したという「腹切やぐら」がある。「小田原記」(新編相模)によると,弘治2年10月北条氏康が葛西ケ谷に足利義氏邸を造営したという。この屋敷は永禄元年霜月11日の北条家朱印状には「北宝戒寺公方屋敷」とあって,葛西ケ谷との位置関係はあまりはっきりしていない(宝戒寺文書/県史資3下-7115)。しかし,弘治3年頃と推定される8月15日の足利義氏朱印状(岩本院文書/同前7042)および「役帳」では義氏のことを「葛西様」と称している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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